満月の夜、二人はお月見をした。それから眠った。〈僕〉はふと目を覚ます。雨が降っている。こよみさんが向こうを向いたまま、「月が明るいのに雨が降ってる」と囁いた。泣いている。もう月は出ていないのに、彼女はまだ満月を覚えていて、いま静かに雨が降っている。この小説の最も美しい場面だ。眠れば消えてしまう月。彼女はなぜ泣いているのか。それは彼女が、どこかよその天体からやって来て、その星を思い出しているからだ。
「日をつなぐ」は、善良で聡明な少女と少年が、やがて想いを成就して結ばれる爽やかな恋物語のトーンで半ば近くまで進んで来たのが、一転、〈私〉(ヒロイン)の受難劇となる。異郷の地で、妊娠し、ひどいつわりに苦しみ、出産、そして気の休まる暇のない育児と家事の疲れに加え、残業でいつも帰りの遅い夫とは会話もない。〈私〉は安らぎを求めて、子供の頃母が煮てくれたように豆を煮ることに没頭する。赤ん坊が泣きじゃくる。バッハのフーガを聴く。赤ん坊は眠っている。
一曲、最後まで聴くことができさえすれば、〈私〉はこの苦しみから抜け出せる、赤ん坊を忘れ、一曲分だけ時間を止めようと考える。〈私〉はヘッドフォンを付けて聴く。そして、つい深く眠ってしまう。
ラストの一行は、我々を不安の中に宙吊りにする。ありふれた恋愛・家庭劇がそのままサスペンスへと転調するのだ。
宮下奈都、端倪(たんげい)すべからざる作家である。
(二〇一九年四月十七日記)
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