〈僕〉の恋に彼の家族がささやかに介入し、励ます。母親はこよみさんのたいやきを食べて、大丈夫、うまくいくわよ、と言い残して帰って行く。実家に赤ん坊を抱いて帰って来た姉に、「可愛い人なんだって?」と問われ、「僕には高嶺の花」だと答えると、タカネノハナ、と鸚鵡(おうむ)返しされて、暗に古臭い表現をからかわれる。
だが〈僕〉は「高嶺の花」と口に出した時、その花をどうしたら採(と)ることが出来るか思案していた。崖を上って行くか、尾根伝いにぐるりとまわるか、岩場をこつこつ切り崩すか。
『竹取物語』を初めとして、我々の伝統的な物語では、忽然(こつぜん)と現れる、過去も素姓も定かでないヒロインは、また忽然と消えるものである。「静かな雨」でも確かに消える。
こよみさんは交通事故の巻き添えで、意識不明の重態に陥(おちい)る。比喩的に死ぬ。つまり消える。こよみさんは目を覚まさない。〈僕〉は毎日、病室に通う。こよみさんに身寄りはないらしい。そばには〈僕〉しかいない。〈僕〉は“眠り姫”を、あるいは“こよみさんの死”を独占することができる。
この時、我々は既に聞いた〈僕〉の言葉を思い出す。あのタカネノハナのパラグラフにあった最後の一行、
(高嶺の花を採るには)さてどうしようかと思案していたところへ思いがけずもその花がぽとりと落ちてきたのだった。
この文章は、これまでのこの小説の文脈と、我々が知る〈僕〉の気性からはみ出した異様な一行である。花がぽとりと落ちてきた、とは一体どういうことか。
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