三ヶ月と三日でこよみさんは蘇生(そせい)する。大きな伸びをして、おはよう、と言う。しかし、彼女は脳の記憶を司(つかさど)る部位の針の先のような一点が損われていて、記憶は一日しか持たない。一晩眠れば消えてしまう。事故以前の記憶は無事で、普通に話し、食べて眠る。眠ると、その一日の記憶だけが消える。こよみさんの一日一日が、〈僕〉にだけ積もる。つまり〈僕〉はこよみさんの記憶装置になる。これは一見、〈僕〉の献身に映る。しかし、そうだろうか。これこそ、〈僕〉がこよみさんを絶対支配することではないか。「花がぽとりと落ちてきたのだった」。異様な、と言ったのはこのことだ。
〈僕〉は、何かが起きて、高嶺に咲くこよみさんが、〈僕〉のところまで落ちて来るような偶然がおきないかと願ったことはなかっただろうか? 補足するなら、三本足の僕の足許に花が落ちてこないかと祈った、ことは……?
彼女の事故は、〈僕〉が呼び寄せた偶然ではなかったのか。無論、〈僕〉は決してそんなことを匂わせはしない。しかし、〈僕〉が述べることしか知ることの出来ない我々には、〈僕〉が述べなかったこと、述べたくなかったこと、省略した部分を推理する自由はある。
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