創業一八六三年(文久三年)、一五六年の歴史を持つ横浜の高級料亭「田中屋」は、かつておりょうが仲居として働いていた場所です。おりょうがいた頃は、「さくらや」という名前だったそう。
横浜の大学に進学した歴史好きの私にとって、この田中屋は憧れのお店でしたが、敷居も値段も高く、なかなか行くことができませんでした。そしてその存在を知ってから10年後、やっと田中屋を訪れる機会に恵まれたのです。建物に入ると、「ここでおりょうさんが月琴を奏でていたのかな」「幕末の志士、西郷隆盛や伊藤博文が国事を語っていたのかな」と想像が膨らみました。
田中屋のある神奈川宿は、晴れた日は江戸湾を隔てて、房総半島まで見渡せたという風光明媚な宿場町。湾を見下ろす崖のような高台に建つ田中屋の部屋からは、目の前の海に釣り糸をたらして、魚釣りができたそうです。昔はこの窓からこんな景色が見えたんですよ、と仲居さんに古写真を見せていただきました。
一八五九年(安政六年)、横浜港開港の機運に乗り、田中屋はハリスなど多くの外国人に接待や迎賓館として利用されたそう。「おりょうさんはお酒が強く、気丈な性格で、ひいきにしていたお客様も多かった」と、女将さんが教えてくれました。おりょうさんは英語が堪能で、大勢の外国人客を前に堂々ともてなしたといいます。
「坂本龍馬の妻」としてあまりに有名なおりょう、こと、楢崎龍。
龍馬亡きあとは、各地を転々とし、晩年は横須賀の長屋で貧しい暮らしをし、お酒を飲んでは「龍馬が生きていたら、私は公爵の妻になっていた」と管を巻いていたと、落ちぶれたイメージを持たれていますが、この時代のおりょうのことはあまり知られていません。
大学を卒業した私は、タレント活動を続ける中で歴史好きを公言するうちにいつしか、「歴ドル(歴史が好きなアイドル)」と呼ばれるようになりました。
同じく歴史好きだった事務所の社長がある日、「面白いよ」と教えてくれたのが、門井慶喜さんの『家康、江戸を建てる』でした。家康ではなく無名の人物中心、戦いではなくて都市設計がテーマ。それまで門井さんの作品は未読だったのですが、独特の眼のつけどころがとても面白くてファンになり、私も色々な人にお薦めしました。
小説『ゆけ、おりょう』にも、この独特の「門井さんらしさ」を強く感じました。
これまで読んできた「龍馬」関連本は、龍馬のことを「英雄」と持ち上げるか、「そんなに偉い人ではない」と叩くかのどちらかでしたが、『ゆけ、おりょう』では、龍馬を英雄視することもなく、ドラマチックに話を盛り上げたりもしない。妻のおりょうについても、小説のための脚色を避けて等身大の姿を描いていらっしゃるように感じました。
『ゆけ、おりょう』のおりょうは、口達者で大酒呑みで、海援隊の志士たちにも煙たがられています。龍馬の実家でも喧嘩して出て行かざるをえないし、陸奥宗光に助けてもらうために会いにいったのに、宗光を罵ってしまうシーンもリアルです。万人に好かれる人ではなくて、ちょっと癖のある人。この小説を読んで、読者が皆おりょうのファンになるかと言えば、そんなにはならないと思います(笑)。
船というおもちゃを欲しがる龍馬もまるで子供のようで、私が持っていた龍馬のイメージ「末っ子らしい甘えん坊で、ほっとけない愛されキャラ」が、リアリティを持って膨らんで伝わってくるものでした。他の人がやったら嫌われるようなことでも許されてしまう、どこか抜けていて、愛嬌のある龍馬。面倒見のいいおりょうは、そんな弟みたいで放っておけない龍馬が愛おしくて仕方なかったことがよくわかります。私がいないとこの人はダメね! と思わせてくれる男に惚れてしまうという、現代なら「ダメンズに捕まるタイプ」ですね。
また、お仁王のあだ名をもつくらい勇ましい乙女姉さんが大好きな龍馬も、姉のような男勝りの女性がタイプだからこそ、おりょうさんはストライクだったんでしょう。二人はラブラブで、白昼堂々と、人前で手を繋いで歩いたといいます。女性は三歩後ろをついて歩くのが普通な、男尊女卑の当時では考えられません。龍馬もおりょうも、常識にとらわれない豪快さがあり、似た者同士で気が合ったんですね。門井さんも、「龍馬が現代に生きていたらSNSで発信するタイプ」とお書きになっていますが、なるほど! カップルとしても時代の先取りをしていたわけです。
高千穂峰山頂にある「天の逆鉾」を二人で引き抜いたというのも、私の大好きなエピソードです。慌てて止めに入ろうとする薩摩藩士の田中吉兵衛の言うことも無視して、鉾の根元を掘って「一、二の、三!」で抜いてしまい、興奮して大笑いする二人。日本神話に登場する宝を、自分の子供時代の幸福の象徴として覚えていたおりょうが、おもちゃのような実際の逆鉾を「抜いてしまいましょう」と龍馬に言った気持ちがわかるような気がしました。
龍馬とおりょうは、「英雄と、その英雄を支えた立派な妻」ではないんです。
龍馬が亡くなってから、実は3回の龍馬ブームがありました。第1回目は、本文にも出てくる『汗血千里の駒』。明治一六年、それまでほとんど無名だった龍馬を一躍有名にします。この影響で、明治二年の新政府の論功行賞ではなんの功績も認められなかった龍馬が、明治二四年に正四位を追贈されています。第2回龍馬ブームは、日露戦争を控えた明治三七年、皇后陛下(昭憲皇太后)の夢枕事件。これも本書に記されています。夢枕のエピソードが新聞に取り上げられたことにより、龍馬は国民的人気となり、皇后のご意向で京都霊山護國神社に「贈正四位坂本龍馬君忠魂碑」が建立されます。そして第3回のブームは、司馬遼太郎さんの小説『竜馬がゆく』によって。幕末同時代を生きた人たちの中で、坂本龍馬と中岡慎太郎は双璧の存在でしたが、『竜馬がゆく』の影響は大きく、今では龍馬のほうがずっと有名になり、好きな偉人ランキングでも上位にランクインしています。ソフトバンクの孫正義さんや海援隊の武田鉄矢さんも、『竜馬がゆく』を読んで、大の龍馬ファンになったそうです。
死後、大出世を遂げた龍馬を、おりょうはどんな気持ちで受け止めていたでしょうか。『ゆけ、おりょう』を読み終えた私は、その心理を深く理解できたように思いました。「さすが私の旦那さま!」と誇らしい気持ちももちろんあったでしょうが、「坂本はんはそんな偉い方と違うのに、可笑しいわぁ」と笑っていた……かもしれません。
明治三九年六十六歳で亡くなったおりょう。時代の常識にとらわれず生きた彼女にとって、たった三年足らずの龍馬との結婚生活は、生涯心に残る宝物だったに違いありません。
『ゆけ、おりょう』は、歴史小説が苦手、という読者にも、歴史ファンにも強く響く一冊だと思います。平易な言葉でわかりやすく、歴史に忠実でありつつ人物像が深掘りされていて、リアルな男女の関係と感情をストレートに感じさせてくれる。「二人がどんな人だったかよくわかるよ! おりょうさんの後半の人生も凄いよ! とにかく面白い本だよ!」と、「歴史をわかりやすく面白く伝える伝道師」を目指す歴ドルとしては声を大にして言いたいです。
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