1 六歳児
フランスの、というより偉大なヨーロッパそのものの玄関口というべきマルセイユ港を出発し、六十日後に香港に着き、べつの汽船にのりかえて横浜の波止場へ上陸すれば、波止場はまがりなりにも海のなかへL字状に突き出して安定した土と砂の地面である。マルセイユの鉄筋コンクリート製埠頭にはもちろん遠くおよばないにしろ、とにかくも、大人が十人は横にならんで歩ける幅があった。
金吾には、三年ぶりの日本である。
あたたかな土をふみしめるのも香港以来だ。そのふっくらとした夢ごこちを靴底ごしに感じつつ、ひとり、陸をめざして突きすすむ。まわりは外国人ばかりだった。
自分だけが背がひくい。太陽の光もさえぎられる。何だか高層建築にかこまれた犬小屋みたいな気分だが、金吾は前方、ちょうど波止場がL字状にまがるその曲がり角に、
「おっ」
おなじくらい体の小さな、日本人三人のすがたを見た。
女ひとり、男ふたり。みな背のびをし、首をのばして視線をこちらへ泳がせている。金吾をさがしているのにちがいなかった。
金吾の足は、おのずと速まる。ざっざっと靴底が砂にこすれる。ぶしつけに吹きつけてくる海風までもが日本の五月のさわやかさの見本のごとく感じられた。まんなかの男がこちらへ気づいて、
――おっ。
という唇のかたちをして、一歩ふみだして来た。金吾はもう耐えられない。小走りになり、右腕をのばし、
「曽禰君!」
ぐいと肩を抱き寄せた。われながら脱走兵を捕獲するような手つきの乱暴さだが、しかしまた、自分がもともと頭よりも先に体が動いてしまう型の人間であることは日本の友はみんな知っている。だいいち三年ぶりではないか。
十七歳のときはじめて故郷・唐津(佐賀県)の学校で出会い、おなじ時期に上京して、おなじ建築の道をこころざし、おなじ官立の工部大学校の第一回入学試験に合格して、文字どおり机をならべて苦楽をともにしてきた学友との久闊。曽禰もさだめし、
(おなじ思いだろう)
だがこの瞬間、横の女が、
「いけません!」
金吾にしがみつき、腰を落とした。引き剥がそうとしたのである。その顔はほとんど恐怖にみちている。
もうひとりの男は、やはり工部大学校の同級生、麻生政包だった。
いまは工部省に所属して、主として九州の炭鉱開発の技術指導にあたっている。わざわざ金吾をむかえるためにだけ横浜へ来たのだ。天下に冠たる学士様兼官吏様のわりには気がよわく、ことに金吾に対しては意見もほとんど言わないが、その麻生ですら気がよわいなりに、
――場ちがいな。
というような非難のまなざしで金吾を見ている。こんな彼らの反応に、金吾はようやく、
(しまった)
曽禰の肩から手をはなし、一歩さがった。