ノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーが1955年に長野を訪れた際、日本の若者に向けて発した言葉はよく知られている。フォークナーがその生涯のほとんどを過ごしたミシシッピ州ラファイエット郡を擁するアメリカ南部、それと日本は、ともに「アメリカの軍事力」によって敗北を経験したという。
我々の土地も家も征服者によって侵入され、私たちが負けた後も彼らは居残りました。私たちは負けた戦争によって打ちのめされたばかりではありません。征服者は私たちの敗北と降伏の後十年も南部に滞まり、戦争が残した僅かなものまで略奪していきました。(藤平育子訳「日本の若者たちへ」)
敗戦と占領。その後、アメリカ南部で何が起きたのか。憲法修正第13条で奴隷制が廃止され、第14条と15条でそれぞれ元奴隷の公民権、投票権が確保されたにもかかわらず、アメリカ南部では人種の隔離を正当化するさまざまな法律(ジム・クロウ法)が施行された。つまり、南北戦争後のアメリカ南部では、北部の占領によって押し付けられる理想(奴隷制の廃止)を骨抜きにし、南部社会の差別構造を実質的に温存するためのあらゆる方策が練られたのだ。こうしたねじれを解消し、黒人の権利を真に認める公民権法が成立するには南北戦争後、さらに100年を要することになるだろう。
特筆すべきは、南北戦争後から公民権運動が展開される20世紀半ばまでのアメリカ南部において、理想と現実、建前と本音、嘘と実が入り混じる奇妙な言説空間が形成された点である。ミズーリ州出身のマーク・トウェインがホラ話(hoax)やトールテール(tall tale)を駆使しながら人間の虚栄心や偽善を軽やかな筆致で描き出しただけでなく、19世紀末から20世紀前半にかけて「南部ゴシック」と呼ばれるリアリティーとファンタジーがグロテスクに入り混じるサブジャンルも台頭する。そしていうまでもなく、ウィリアム・フォークナーもそうした環境で小説を発表し続けた作家である。ミシシッピ州の架空の土地ヨクナパトーファ郡を設定し、同一人物再登場の手法を用いて書き続けられた一大サーガは、噂話や陰謀論、都市伝説によって人々の行動が左右される、きわめて「南部的」な作品群である。
そのフォークナーの意思を正確に受け継ぐ阿部和重は、山形県東根市神町を舞台に年代記を書き続け、『シンセミア』、『ピストルズ』に続く神町サーガの最終作『Orga(ni)sm』を完成させた。この作品において著者は、日米関係そのものを体現する壮大な偽史を書き上げたといえるだろう。
第二次世界大戦の敗戦後、サンフランシスコ講和条約を締結するまで連合国軍の占領下に置かれ、現在も独立国家でありながら属国のような関係を維持する共同体において、「歴史」は必然的に偽史と陰謀論にまみれた言説となる。この政策はどこまで私たち自身が決定し、どこまでアメリカ合衆国の意向が反映されたものなのか、日本の政治家がどこまで主体的に決断し、どこまでアメリカに操られているのか、私たちは原理的に判断することができない。そこでは不可避的に陰謀論が飛び交い、真実と憶測の区別がつかない言葉がただ肥大化し、流通せざるを得ないだろう。『Orga(ni)sm』の登場人物の認識が歪み、幻覚と現実の描写がシームレスに続くのも当然の帰結だといえる。
実在の新聞記事を数多く引用し、それを目眩がするほど広大な時空間に偽りの(pseudo)物語で結びつける著者の構想力と想像力には舌を巻くほかない。かくして『Orga(ni)sm』において戦国時代に日本に流れついた実在の黒人、弥助と第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマが結びつき、13世紀に建立された鎌倉の大仏と山形県東根市の若木山の繋がりが一子相伝の超能力を操る菖蒲家の歴史とともに綴られる。
作品を通じて現れるおびただしい数の映画へのレファレンスも著者の読者にとっては馴染み深い手法だといえるだろう。『ランボー』、『追いつめられて』、『ヤギと男と男と壁と』、『地獄の黙示録』など有名無名の映画への直接的な言及はいうまでもなく、たとえば小説内で登場人物の「阿部和重」とその子供に準(なぞら)えられる『汚名』のケイリー・グラントとイングリッド・バーグマンの関係は、ラリー・タイテルバウムと内通者オブシディアンの因縁をも想起させる。『Orga(ni)sm』で描かれるスーツケース型核爆弾と『汚名』におけるワインボトルに仕込まれたウラニウムがそれぞれ作品内のマクガフィンとして機能している点も共通するだろう。
だが、これまでの著作に頻出する小説と映像の参照関係とは別に、やはり本作品において「映画」は特別な機能を果たしているといえる。なぜなら、それは20世紀初頭のアメリカ南部に台頭した「南部ゴシック」とほぼ同時代にアメリカ西海岸に発展した新しいメディアであり、「映画=フィルム=薄膜」こそが、不気味なまでに薄っぺらな奥深さという陰謀論特有の矛盾を装備した媒体であるからだ。
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