映画は、実際に現実と虚構の境界を滲ませてきた。たとえば南北戦争後のアメリカ南部に台頭し、1870年代にその活動が司法によって取り締まられた合衆国最大のカルト集団クー・クラックス・クランは1920年代にその勢力をふたたび拡大するが、それは1915年に公開されたD・W・グリフィス監督の映画『國民の創生』の影響が大きいことが明らかになっている。もともと十字架を燃やす行為はグリフィスが映画の演出として編み出したもので、クー・クラックス・クランはこの作品を見て儀式に取り入れたという。ここには現実が虚構を模倣する映画のグロテスクな特質が現れており、ファンタスティックかつ偽史的な小説ジャンルである南部ゴシック同様、現実と空想が入り乱れる「南部=日本的」な表現様式を見いだすことができるだろう。
最後に、映画というメディアとも関連するひとりの登場人物に注目したい。『Orga(ni)sm』の主役ともいえるCIAの諜報員ラリー・タイテルバウムは、ユダヤ系アメリカ人でブランダイス大学の卒業生という設定である。ブランダイス大学はハーバード大学にほど近いマサチューセッツ州ウォルサム市に位置する私立大学であり、1948年にユダヤ系コミュニティーによって設立された。20世紀初頭にユダヤ系最初の最高裁判事に任命されたルイス・ブランダイスに因んで名付けられ、アメリカ合衆国の中でもユダヤ系屈指の名門大学として知られている。
こうしてユダヤ系という民族性が強調されるラリーは「顔の下はんぶんをおおう鬱蒼たる髭」をたくわえた人物として形容されるが、そうであれば彼が別の登場人物である「阿部和重」とともに新首都の神町へと向かう直前に髭を剃る場面にはそれなりの意味を読み取ることが許されるだろう。正統派ユダヤ教徒にとって剃毛が固く禁じられていることを鑑みれば(とはいえ、ブランダイス大学はユダヤ教の教義に基づいた教育がなされるわけではなく多くの宗教に開かれている)、ここでラリーがユダヤ系というアイデンティティーを捨てたと解釈することはそれほど不自然ではない。興味深いのは、一度髭を剃り、最初の頃は「幻影《髭》にでも惑わされてい」たラリーの顎に「うっすら髭が伸びてきて」、やがて「阿部和重」に気づかれるほど「黒々と伸びだして」くる点である。物語の最後でラリーはふたたび「髭面米国紳士」と記載されるので、『Orga(ni)sm』はユダヤ系アメリカ人スパイが髭を剃り、諜報活動を通じてまた髭が生えそろうまでの物語として読むことができるだろう。ナラティブの構造上、髭を剃る=民族的アイデンティティーを喪失することが、登場人物の意識がアヤメメソッドの影響下にあることと並行しているのが示唆的だが、では物語の最後にふたたび髭を生やし、正気に戻ったラリーが「阿部和重」とともに文字通り「映画的な」クライマックスを迎えるラストは、登場人物のアイデンティティー=自己同一性が再構築された場面として解釈して良いのだろうか。
ここで鍵となるのが、ラリー・タイテルバウムとの再会を求めて「阿部和重」がバーバンクへと向かう小説のラストシーンである。小説『Orga(ni)sm』の最後はサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」などいくつかの詩の引用で締めくくられるが、より注目すべきは「バーバンク」という固有名である。カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンクは1920年代以来、コロンビアやNBCなど映画産業の中心であり続け、現在もワーナー・ブラザース、ウォルト・ディズニー・カンパニーなど多くの娯楽関連企業が本社や撮影所を置く「世界のメディアの首都」である。
ポピュラー音楽の分野で「バーバンク・サウンド」といえば、ワーナー・レコードのレニー・ワロンカー社長のもと、1960年代から70年代にかけてヴァン・ダイク・パークスやランディー・ニューマンなどが手がけた甘美で幻想的な楽曲群を指すが、かつて音楽評論家の小倉エージはバーバンク・サウンドの鍵は「ユダヤ人コミュニティ」にあると看破した。空想と現実が奇妙に入り混じり、美しい旋律の背後にアメリカーナ特有の狂気とグロテスクを孕んだ音楽、それこそがハリウッド映画=ユダヤ系の音楽だというのだ。
バーバンク・サウンドの中核をなすランディー・ニューマンがハリウッド映画のサウンドトラックを多数手がけたニューマン・ファミリー出身であることを思えば、この断言もあながち的外れには聞こえないだろう。ランディーの伯父アルフレッド・ニューマンは『わが谷は緑なりき』(1941)や『七年目の浮気』(1955)などの音楽を担当し、アカデミー賞を9度受賞(ノミネートは40回以上)した映画音楽の大家であり、その弟のライオネル(『紳士は金髪がお好き』1953など)もエミール(『我等の生涯の最良の年』1946など)も多くの映画音楽を作曲したことで知られている。ランディーの従兄弟にあたるデイヴィッドとトーマスも現在、映画音楽家として活躍しており、ニューマン・ファミリーは文字通りハリウッド映画の歴史を音楽的に彩ってきた存在だといえるのだ。
『Orga(ni)sm』の最後で年老いた「阿部和重」は「セルフドライビングカー」を走らせてユダヤ系の元スパイが居を構える「バーバンク」へと向かう。二人が「宗主国」と「属国」という用語で描写される関係から、より対等な友情を育むバディー・ムーヴィー的な展開をみせる物語はハリウッド映画特有のナラティヴともいえるが、二人が密接になればなるほど「日ユ同祖論」という古典的な偽史を彷彿とさせる点もこの作品の「映画」性を裏付ける。
壮大な神町サーガの最終巻『Orga(ni)sm』は20世紀を代表する陰謀論的メディアである「映画」を目指しつつ完結する。敗戦と占領を経験した日米関係を通して、私たちは嘘と虚構と幻覚を愛する術を身につけてしまった。そのことを完膚なきまでに活写した『Orga(ni)sm』を読了したのちに、私たちは、それでも覚醒することができるだろうか。
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