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明晰な虚構の語り、文学だけが持ちうる倫理【作品論】<阿部和重『Orga(ni)sm』を体験せよ>

明晰な虚構の語り、文学だけが持ちうる倫理【作品論】<阿部和重『Orga(ni)sm』を体験せよ>

文:樋口恭介

文學界10月号

出典 : #文學界

『オーガ(ニ)ズム』(阿部和重 著)

『オーガ(ニ)ズム』。生物/快楽。種無し/マリファナ(『シンセミア』)と雌しべ/拳銃(『ピストルズ』)に続く――神町三部作を完結させる――植物を示唆するダブルミーニングのタイトル。種無しの雄しべと雌しべによって生まれる新たな生物、マリファナと拳銃が出会う先にある快楽、それを表象するのが本作だ。

『シンセミア』が三人称複数視点によるスピーディな群像劇であり、『ピストルズ』が一人称複数視点による静謐かつ濃厚な語りであったことに対して、本作『オーガ(ニ)ズム』は基本的に、三人称単一視点という非常にオーソドックスかつシンプルな――王道のエンタメ小説のような――手法によって語られる。デビュー以来、阿部和重の大きな特徴の一つとして知られてきた「語りの構造の複雑さ」は、本作ではなりをひそめている。おそらくそれは伊坂幸太郎との共作『キャプテンサンダーボルト』を通じて得た作家としての道具であり、もしかすると、いわゆる「読者にとってわかりやすい文体」という、単なる情報伝達における技術的な論点なのかもしれない。しかしそうした〈複雑でない本作の語り〉は、本作の構造全体も複雑でないことは意味していない。むしろ、語りの構造が平易であり明晰であるがゆえに、事態はこれまで以上に複雑化しており、この語りでしかありえなかった新たな批評性を獲得しているとさえ言えるのだということを、ここでは指摘しておきたい。

 どういうことか。まずは本作のあらすじを確認しよう。

 二〇一四年三月三日月曜日の夜のこと。本作の主人公の一人である小説家・阿部和重の元に、一人の瀕死の白人がやってくる。男の名前はラリー・タイテルバウム。数日前に「ニューズウィークの編集者」として阿部和重に連絡をとっていた男だった。阿部和重はラリーを看病してやり、そこに至った経緯を確認する。ラリーが語るところによれば、本当は彼はニューズウィークの編集者ではなくCIAの職員であり、日本には世界の危機を救いに来たのだという。

 国会議事堂地下の爆発と崩落により首都機能が霞が関から神町に移転している作中の日本で、阿部和重は、ノンフィクション作品を書くことを夢見る小説家として描かれる。ラリーはそんな阿部和重に、神町で「アヤメメソッド」と呼ばれる人心操作の秘術を扱う〈菖蒲家〉へのスパイ活動の協力を依頼する。ラリーによれば、時のアメリカ大統領であるバラク・オバマが近日神町に来訪予定であり、その来訪を見計らった核テロが、菖蒲家を中心に計画されているのだという。そして阿部和重は半信半疑ながらもラリーと行動をともにするようになり、やがて陰謀の核心へと至ることになる――。

 以上のようなできごとが、数十年の時代を経て回想的に語られる。それが『オーガ(ニ)ズム』という作品の基本線である。

 ここでは虚構化された現実が再度虚構化され、虚構が別様の現実の可能性を構築しようとする運動が認められる。われわれの暮らすこの現実において、山形県東根市に実在する「神町」が、『ニッポニアニッポン』や『ミステリアスセッティング』など、阿部和重の実在する小説群によって、「菖蒲家」や「新首都」といった虚構のヴェールを被せられ、半―虚構の町として自律しはじめたところに、「CIA」や「バラク・オバマ」といった実在する事物が導入され、虚構のレベルが揺るがされる――虚構である人工首都としての神町に、実在する人工国家であるアメリカのイメージが重なる――のである。ここでは虚構が現実を志向する運動と、現実が虚構を志向する運動を二重化する場として、小説が機能している。要するに、虚構の現実性と現実の虚構性を同時に暴く場所として、この「生物/快楽」と名づけられた小説『オーガ(ニ)ズム』は存在しているのだ。

 そのような世界にあって、物語の終盤、ラリー・タイテルバウムは「ここにないものが重要ということです」と語る。そう、ラリーの言う通り、全てが語り尽くされたように見えるこの巨大な虚構の神町で、決して語られなかったものを探すこと――本作の倫理について考えるとき、それが最も重要な営みなのだ。そして、本作の語りの構造が簡潔かつ明晰であるために、語られたものと語られなかったものの弁別は、明確な仕方で可能となる。

 たとえば阿部和重という登場人物について。本作において、阿部和重の著作として『インディヴィジュアル・プロジェクション』は語られ、『ニッポニアニッポン』は語られ、『ミステリアスセッティング』は語られる。Wikipediaでは「テロリズム、インターネット、ロリコンといった現代的なトピックを散りばめつつ、物語の形式性を強く意識した作品を多数発表している」と紹介されていることが語られる。その一方で、『シンセミア』についても『ピストルズ』についても、あるいは本作『オーガ(ニ)ズム』そのものについても語られることはない。ここで語られる阿部和重とは、『シンセミア』も『ピストルズ』も書いていない、『オーガ(ニ)ズム』も書いていない、現実とは異なる体系の内にある、言うなれば、可能世界の阿部和重なのだ。

 あるいは時事情報においてもそうだろう。本作において、首都機能移転時の首相は菅直人であり、アメリカ大統領は物語の最初から最後までバラク・オバマだ。小説内の主な舞台は二〇一四年だが、しかしそれは回想によって遠い未来より遡行的に語られた二〇一四年である。それが現実として語られる思い出ならば、安倍晋三やドナルド・トランプが登場しないのは不自然である。そう、それが現実であるならば。

 しかしそれは決して〈この現実〉ではない。これは当然ながら小説であり、さらには物語の終盤で明らかにされるように、それまで語られていた物語は全て、実のところある虚構の仕掛けによって再構築されたものなのだ。ラリー・タイテルバウムと阿部和重が経験し、読者が読んでいる物語。それは明確に虚構であり、実のところ小説家が書いた小説ですらない。だから、これは現実そのものではなく、この現実によく似た現実なのだろう。要するに『オーガ(ニ)ズム』=「生物/快楽」とは、虚構というもう一つの現実のことであり、それがもたらす快楽のことなのだと読むことができる。

文學界 10月号

2019年10月号 / 9月6日発売
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単行本
オーガ(ニ)ズム
阿部和重

定価:2,640円(税込)発売日:2019年09月26日

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