戸口に現れた背の高い奥さんを見て、僕は一瞬ひどく混乱した。「いつも主人がお世話になってます」と彼女は言った。ずいぶんそっけない会釈だった。僕はいよいよ他人の空似かとも迷いながら、それでもがむしゃらに記憶を遡って、名前を思い出した。
「染島さんじゃないですか?」
「ええ旧姓は」と彼女は表情も変えず短く応じた。
「やっぱり。幾背です、六年前でしたかI大学の新入生オリエンテーションで、派遣スタッフとしてご一緒した」
微笑んだつもりだが声は少し上ずった。あまりにも彼女の印象が変わっていたのだ。痩せてはいるが華奢ではない骨格に沿う、縞のシャツとゆったりしたパンツ、黒い短髪。他人にこれほどこざっぱり対応する人でも、これほど中性的な人でもなかった。しかし彼女の、何を威嚇しているわけでもなく単に生まれつきなのだろう、キッときついところのある目鼻立ちは見間違えるはずがなかった。
「そうですか。主人から新しい生徒さんの苗字を聞いたとき、覚えがあるようには思った」
味気ない声で彼女は言い、「先生のおかげでやりがいのあるお仕事をさせていただいてます」という僕のはきはきした返事を、ろくに聞き届けることなく踵を返していた。
通された和室は物が少ないわりに雑然としていたが、大きな窓ガラスを隔てたベランダには端正な印象しかなかった。広々とし、日当たりも風通しもよく、清潔に整えられている。二段構えの長机みたいな棚が並び、松や欅や実のついた木などの培養中らしい盆栽がずらりと配置されていた。
奥さんが言葉をかけてくれないので僕はいつまでも突っ立っていた。奥さんも柱にもたれて立っていた。開け放した窓からゆっくりと蠅が一匹入り込んできた。室内のローテーブルの上にも盆栽が一鉢ある。僕はその幹の、大胆で複雑な色合いを見ていた。からっとしたまじりけのない白と、樹皮の褐色が入り交じって、テーブルの片隅で劇的なコントラストを生んでいる。その迫力とその小ささが、同時に一つであることは、僕をぞっとさせた。奥さんは言った。
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