「それは真柏っていう木」
「しんぱく」
漢字に変換できないでいることを発音や顔つきで表してみたが、奥さんは話を進めた。
「その白い部分がシャリって呼ばれて、枯れて木質部が現れてるんです。水吸いといわれるのが生きてる茶色い樹皮のところ」
僕は胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出して仕方なくひらがなまみれで記録した。奥さんは思い出したように「どうぞお座りください」と言い、しばらく台所に引っ込んでいた。正座して自分の手の甲を見ていると、かちゃかちゃとお茶を準備する物音に交じっていきなり「どうぞお座りください」というせりふが再度聞こえた。僕は脳みそを素手で軽く叩かれた気がした。自分の挨拶を復唱するか? まさか蠅に言っているわけでもないだろう。しかし同時に、やはり彼女は染島さんだと、確証を得た気もした。戻ってきた彼女は湯飲みを差し出しながら言った。
「じゃあ次回からですが、鋏とかは貸すこともできるんだけど、」
「奥さんすみません。僕は聴講生という扱いにしてもらえないでしょうか」
奥さんは少し間をあけたが、意味がわからなかったことはいっそ聞かなかったことにする人物へと六年の間に変身したらしく、「もし持っておられたら鋏やペンチはご自身のを持ってきてください。で、肝心の木ですけど」とそのまま続行した。僕は再び遮った。
「実作はちょっと。見物だけさせてください」
そこは譲らない気持ちで乗り込んだのだ。何度か通ってから家業の手伝いを理由にやめる魂胆でいた。
「枯らすのもいやだし、かといって日中は世話できないし、せめて少し慣れてからにしたいんです」と僕は言った。
奥さんはパンツのポケットに両手を突っ込んで立ったまま、僕をじろじろ見ていたが、ふいに失笑した。
この続きは、「文學界」10月号に全文掲載されています。
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