- 2019.10.08
- インタビュー・対談
『Orga(ni)sm』キーワードをめぐるよもやま話 #2
サイモン辻本(辻本力) ,ガーファンクル(編集部)
文學界10月号 <阿部和重『Orga(ni)sm』を体験せよ>
出典 : #文學界
タランティーノ的饒舌さ
S SFやホラー系への言及もけっこうあるよね。
G SFだと、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』とか、地球滅亡を描いた『地球最後の日』あたりがポピュラーかな。『Orga(ni)sm』には、空が血塗られたようにまっ赤に染まるシーンがあるけど、空から何かが襲ってきそうな雰囲気は、SF映画の終末のビジュアルが似つかわしい。
S ホラーだと、ゾンビ映画のパイオニアであるジョージ・A・ロメロ、『悪魔のいけにえ』『悪魔の沼』と二作品登場するトビー・フーパーあたりが目立ってたね。あとは、ジョン・カーペンターの『ハロウィン』に出てくる殺人鬼ブギーマンことマイケル・マイヤーズとか。
G 『悪魔のいけにえ』はいいとして、「『悪魔の沼』のネヴィル・ブランドのようでもあり」っていわれて、ぱっとビジュアルの浮かぶ読者ってどれくらいいるんだろ?(笑)
S でも、『悪魔の沼』いいよねー。ネヴィル・ブランド演じる狂ったモーテルの主人が、滞在客とか通りすがりの人たちを鎌とか農耕具で惨殺して、隣接する沼のワニに食わせる話。のちに『エルム街の悪夢』の鉤爪フレディ役で有名になるロバート・イングランドの若かりし姿も。デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス』でファントム役を演じたウィリアム・フィンレイも出てる。
G しかし、フィンレイのフィルモグラフィをあらためて見ると、デ・パルマ映画の常連だったんだなー。
S 『フューリー』にも出てるし。
G やっぱデ・パルマ超重要だなー。あとホラー系なら『シャイニング』もあった。スタンリー・キューブリックは他にも『2001年宇宙の旅』が出てくるし、『時計じかけのオレンジ』を思わせる場面も。こうして見ていくと、阿部さんが大切に思っている映画監督の作品ほど登場頻度や重要度が高い気がするね。逆に考えると、一見して「ここにこの映画出てくる必然性ってあるの?」ってやつほど、阿部さんにとって、ひいては小説にとっても大事な存在なのかも。それから、ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』も目立ってたね。
S 拘束者と被拘束者との逆転した関係を描く時に、人喰い博士ハンニバル・レクターとFBI捜査官クラリス・スターリングとの関係はぴったりくるもんね。本来は弱いはずの拘束されている側がむしろ力を持っていて、逆に自由であるはずの側が相手に操られるんじゃないかという恐怖を感じている――みたいな関係。
G で、ジョナサン・デミは前述の洗脳もの映画『影なき狙撃者』のリメイク版である『クライシス・オブ・アメリカ』を監督してるんだよね。そっちも見とけよ、っていう著者の意図を感じる。
S 『Orga(ni)sm』には、そうやって、どんどんキーワードで繋がっていく面白さがあるよね。
G スパイ、SF、ホラーとジャンルで見てきたけど、それを横断する存在としてクエンティン・タランティーノの存在も忘れちゃいけない。例えば、小説に登場する女性CIAエージェントは、『パルプ・フィクション』の時のユマ・サーマンに似てるっていう設定で。あと、ユマ・サーマンとのコンビなら、『キル・ビル Vol.2』も出てくる。
S タランティーノは過去の映画を大量にサンプリングする作風で一世を風靡したわけだけど、その意味では、『Orga(ni)sm』におけるさまざまな映画や音楽の引用も手法として重なるよね。あと、登場人物にマニアックなことを延々喋らせるところとか。
G 阿部和重とラリーはずーっと喋ってるもんね。会話劇的というか。かつての映画におけるギャングって、どっちかというと寡黙なイメージだったけど、タランティーノ以降はハンバーガーがどうしたとか、だいぶ饒舌になった。アクション・シーンもないわけではないけど、ベシャリが基本。
S 『Orga(ni)sm』は、そのへんの感じも意識してるんじゃないかな。
インベスティゲーション・ボード
G フランシス・フォード・コッポラの戦争映画の金字塔『地獄の黙示録』にも触れとかなきゃ。
S 主人公・阿部和重の奥さんである川上さんは、現実には小説家だけど、この物語の中では映画監督という設定なんだよね。阿部+ラリーチームが潜入する前から、撮影で神町に滞在しているという設定で。しかも、久々の復活作ということもあって気合入りまくりで、現地での過酷な撮影状況が『地獄の黙示録』になぞらえられている。
G 『地獄の黙示録』の撮影が過酷を極めた話は有名だもんね。川上さんは「フランシス・フォード・カワカミ」だし、助手も「コッポラなんすよ」ってブツブツいってる(笑)。
S ドローンを大量に飛ばしまくって、スタッフの頭の中では、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」がガンガンに鳴り響いててね(笑)。
G 神町で、阿部+ラリーチームが菖蒲ファミリーの陰謀をめぐる調査を繰り広げているすぐ隣で、戦争さながらのハードコアな撮影が繰り広げられているわけ。
S 戦争が目前に。まさに「ギミー・シェルター」状態。
G あと、川上班の撮影とは別に、阿部+ラリーチームは、深沢というライターを先鋒として菖蒲ファミリーの本拠地「菖蒲リゾート」に送り込むじゃない。で、連絡が取れなくなってしまう。それを追って神町に赴く主人公――っていう展開って、どこか『地獄の黙示録』でジャングルに消えたカーツ大佐を追うウィラード大尉を思わせる。あとカーツ大佐って、謎に包まれた存在で、どこか菖蒲ファミリーとも重なるなって。
S ジャングルに君臨するカーツ大佐は、神町という危機が目前に迫った地に映画監督として君臨する「フランシス・フォード・カワカミ」である、って見方もできそう。
G コッポラも阿部さんにとって重要な映画作家だと思うけど、もう一人忘れちゃいけない存在がブルース・リーでしょう。
S ワンインチパンチとか出てくるからね。
G 阿部さんのデビュー作『アメリカの夜』では、ブルース・リーの格闘思想「截拳道(ジークンドー)」が重要なモチーフとして登場するわけで。自らのルーツに触れて、作家人生を総括しているようにも読める。
S 思えば『キル・ビル』のユマ・サーマンは、ブルース・リーの『死亡遊戯』の時の黄色いトラックスーツを着ていたわけで、そういう文脈も用意されてたんだな、ってことに気付かされる。読者の中に、『キル・ビル』→ユマ・サーマン演じるザ・ブライド→黄色いトラックスーツ→ブルース・リー→小説家・阿部和重、という意識の流れが生まれるような書き方っていうか。
G 自身が影響を受けた作品をこれでもかと開陳し、小説家としての原点に立ち返る――集大成感がすごい。……とまあ、話は尽きないんだけど、代わりに紙幅が尽きたね。アメリカのアニメやドラマ、もちろん文学への目くばせもふんだんにあるんだけど。ここまで話してきたことは、基本的に全部僕らの勝手な想像や妄想だから正解ではないし、読者の数だけ“読み”や解釈が出てくると思う。当然、僕らの気付いてないことや、間違ってることもいっぱいあるだろうし。そうだ、小説の中に「インベスティゲーション・ボード」って出てくるじゃない?
S 刑事ドラマとかでおなじみの、壁に容疑者の写真とか地図とかポストイットとかを貼って線で繋げたりするアレね。捜査の現状を把握するための見取り図みたいなの。
G それそれ。ある意味、『Orga(ni)sm』という小説自体が、阿部和重という小説家の作り上げた壮大なインベスティゲーション・ボードのようなものともいえるかもしれない。
S あるいは、小説内にちりばめられた無数のキーワードを読者が拾い出して、自分だけのインベスティゲーション・ボードを作り上げながら読める作品ともいえるかもしれないね。読む人の知識や趣味嗜好によって、それは際限なく広がっていく。
G 友達と映画観た帰りにファミレスであーだこーだ議論を白熱させるみたいに、皆さんにもぜひ『Orga(ni)sm』談義に花を咲かせてほしいね。
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