町田 ああ、僕の昔のバンド、INUの「つるつるの壺」ですね。
伊藤 すごい言葉だと思った。ライブの時、町田さん、メモを見ながら歌ってたでしょ。あれって、わりと普通なことなんですか?
町田 いや、異常ですね。ライブで紙読みながら歌ってるヤツなんていないと思いますよ。普通は歌詞を覚えるし、覚えられないときは覚えているフリをして、客席から見えないところにプロンプター的なものを置いてやりますよね。そうして考えるとライブは、ある種の演劇と言っていいかもしれない。まあ、人間のやることなんて大体演劇ですからね。
伊藤 演劇、ですか。
町田 作りもの、演じているもの。かつては演劇的なものでも、現実のものとして受け止めていた素朴な時代がありましたが、今、演劇が演劇であることが一目瞭然になってしまいました。役者が「これは演劇です」と宣言して始まる演劇もあるくらいですから。そもそも、日本に存在しなかったロック・ミュージックを日本人がやろうと思った段階で、多かれ少なかれ演劇にならざるを得ない。モノマネ演劇というか。僕がやってきたパンクロックだって、最初はイギリスのバンドのマネだったわけですし。そもそもロックに乗せる言葉がない。英語でだったらいろいろ言えるのに、日本語だと途端に言いにくくなってしまう。
伊藤 例えば、「ファック・ユー」みたいなのとか?
町田 まさに。日本語だと、ニュアンスを含めてピタリとハマる言葉がない。こういったことは音楽に限らず、現代の日本全体において言える話だと思います。新聞や雑誌、ニュースに出てくる言葉もそうだし、我々の日常会話でもそうじゃないですか。