一行と一行の狭間で
――町田さんの歌詞集を読んで、学生さんの書くものが面白くなったというのは、具体的にどのへんが変わったのでしょうか。
伊藤 人間って、放っておくと、文章をまとめよう、まとめようとする力が働くんです。この言葉を出したら、次はこの言葉が自然だな……といった具合に、いわば言葉を「普通」な方向に繋げて行きがち。もっと、一行一行が無関係に連なっていてもいいのに、と思ってたんです。そこが改善されてきました。
町田 現代詩は、言葉を繋げたらいけないんですか? 詩に限らず、文章というものは、言葉を繋げて「意味」へと持って行くものじゃないですか。例えば、「明日の二時」「六本木の国際文化会館(で)」「待ち合わせ」みたいに。どうしたって、連ねたら意味が発生してしまう。
伊藤 放っておけばそうなります。でも、私はそうじゃない方が面白い。もっと意味から離れてしまいたい。
町田 詩人には時間軸や時間差みたいな感覚がないように思える時があるのですが、どうなんでしょう。物事を見る時、常に「瞬間」か「永遠」しか見ていない感じがあって。例えば、何かの事件があったとします。小説なら、事件発生から真相に至るまでの間をくどくどと書くわけですが、詩では、その過程が改行の藻屑となっているように思えます。
(聞き手・構成 辻本力)
伊藤比呂美(いとう・ひろみ)
一九五五年生まれ。七八年、第一詩集『草木の空』を発表、以後、八〇年代の女性詩ブームを牽引する。九七年に渡米。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で二〇〇七年に萩原朔太郎賞、〇八年に紫式部文学賞を受賞したほか、受賞歴多数。近著に『たそがれてゆく子さん』など。
町田 康(まちだ・こう)
一九六二年生まれ。歌手として活躍中の九六年に発表した初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞を受賞。二〇〇〇年「きれぎれ」で芥川賞、〇五年『告白』で谷崎潤一郎賞、〇八年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞したほか、受賞歴多数。近著に『記憶の盆をどり』など。
この続きは、「文學界」12月号に全文掲載されています。