吉田修一個人全集『青春 コレクションI』に収録されている「自伝小説I」(書き下ろし)の冒頭を公開します。
いわゆる最初の記憶というものがない。ある研究者によると、人は三歳から三歳半のころに最初の記憶が形成されるのが一般的で、それ以前の記憶というのは写真や家族の話を元に作られた可能性が高いらしい。
当然、当時の記憶がまったくないわけではないので、朧(おぼろ)げながらも幼少期の思い出はあるのだが、そのどれが一番古いのかとなると途端にあやふやになる。
実家の玄関先にビニールプールを出してもらって水遊びをしている。近所の友達も何人かいて、小さなプールは満杯。水鉄砲を沈めた水はひどくぬるくて、ビニールの継ぎ目なのか、プールの縁(へり)に背中が当たるたびに擦(こす)れて痛い。
遊園地のプールでイベントの競技に参加している。水深の浅いプールを走り、途中でバケツと柄杓(ひしゃく)を受け取って、その先に浮かんでいるゴムボールを五個だか十個だか掬(すく)い上げてゴールへ戻ってきた者が勝ちとなる。たぶん誰よりも早くバケツと柄杓を受け取って、たぶん誰よりも早くゴムボールも集めてゴールへ向かったのだが、バケツの中にゴムボールだけではなく、一緒に掬ってしまった水もたくさん入っている。水が入っていると失格になるのではないかと不安になり、走りながらも必死にバケツの水を出そうとするのだが、一緒にゴムボールもこぼれてしまいそうでうまくいかない。結局、あとから来た子たちに次々に追い抜かれる。
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