藤原さんがこの本を書くきっかけは、ある日の地下鉄の車中で見た光景だったといいます。見渡すかぎりの乗客が全員スマートフォンに見入っていて、思わず読みかけていた新聞をバッグにしまったそうです。そう、東京では見慣れた光景です。私も「全員がスマホに吸いこまれガランドウの車輛」と(自由律句のつもり)詠んだことがあります。このまま日本中の人がスマホの奥の世界に夢中になって、目の前の現実を見なくなったら世の中どうなるのかと怖ろしく感じたものです。更に「ネットことばの蔓延は、家族の関係まで変える」という指摘にはハッとさせられます。同じ家に住んでいながら、個々人がモバイル機器によって家族以外のだれかとつながっているのです。まさに電車の中と同じ、ガランドウの家庭という怖ろしい光景が目に浮かびます。地域はとっくに崩壊し各家庭は孤立している上に、家族までが、スマホの奥の見知らぬ人とつながることで、逆に目の前の家族とはつながらずバラバラ。
ネットで「つながらない勇気」を、という藤原さんの主張には、このままでは日本社会が崩壊するという強烈な危機感がこめられているのを感じます。
だからこそ今、ネットではなく、「生身の人間」として「つながる」ことが大切な気がします。こどものことばを育てる活動の一環で、私はときに、生後1年経たない赤ん坊に絵本を読むことがあります。そのときの赤ん坊の反応は実に興味深いものです。たとえば谷川俊太郎・さく、元永定正・えの『もこ もこもこ』というシンプルな抽象画の絵本を読んでみます。「もこっ」と読むだけで、そっぽを向いていた子がハッとしたように私の方を向き、頁をめくって「もこもこっ」「にょきっ」と読むにつれ、黒々とぬれた瞳でくい入るように私をみつめます。やがて絵本の画に手をのばして触り、絵本をつかんで舐めだしたりします。まるで砂漠の砂が雨を吸いとるように、その赤ん坊の体のなかに、私の声やことばが沁みこんでいくようです。ああ、こどもはこのようにしてことばを身につけていくのかと、赤ん坊のお父さん、お母さんたちと感動を共にします。
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ネットの洪水から離れてみよう
2019.12.04インタビュー・対談 -
五百年に一度の「ことば」の大転換期に
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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