別冊文藝春秋

『ものがたりの賊(やから)』真藤順丈――立ち読み

文: 真藤 順丈

電子版29号

「別冊文藝春秋 電子版29号」(文藝春秋 編)

 下谷区竜泉寺町では、午食に炊かれた赤飯の一粒一粒が揺れた。

 でこぼこの背鰭を持った恐竜が、畳の下で身じろいでいるみたいだった。

 茶碗が、お櫃が、卓袱台が、底から木槌で突かれるように震えている。

「大きいぞ、地震だ! 外に出るんだ!」

 膳を囲んでいた家族と共に、十四歳の少女は門前に出てくる。薄鼠色の雲が動いて、結い髪を強風にあおられた。あちこちで土埃が舞い、近所の人たちが右往左往している。屋根の瓦が辷り落ちて割れる音が響く。通りの前方にある平屋が大きく揺らいだと思った直後、隣の納屋を巻きこんで轟音とともに倒壊した。大変なことになった、と少女は思った。叔母の美登利(*2)は大丈夫だろうか――

 私のお祝いなのに――叔母も午過ぎに顔を見せてくれるはずだった。黒髪を島田に結って綺麗な振袖で着飾った美登利。叔母のようになりたかったのに――

 大波に揉みしだかれる小舟に乗ったような心地で、少女はどうしたらいいかわからずに家族としがみつきあう。

 玄関の水仙の一輪挿しが落ちて割れる。叔母の家の方角に目を向けたところで、地滑りを起こしたように裏の長屋がまとめて崩れ落ちていく。
 

 切支丹坂を俥で下りていた竹中時雄(*3)は、揺れが来たその瞬間、蹴込みに置いたトランクの角に脛を打ちつけた。俥屋はのめるようにして立ち止まり、最初の揺れがおさまるまで舵棒を低くして待ったが、再び走りだしたところでさらに激しい震動が襲ってきた。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版29号(2020年1月号)文藝春秋・編

発売日:2019年12月20日


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