これは市上人空也が始めたものであるが、世間にそれほど知られてはいなかった。詩、絵、書、陶など、人は様々な感情を芸に込める。その中にあって踊りは最古のものであろう。踊りは喜怒哀楽の感情を発露させる不思議な力がある。
そこには偏見も我執も見られず、ただ共に手を取り合う。その姿で唱える念仏こそもっとも純なるものではないか。
「まだ集まって来るようだ」
一遍はひょいと身を乗り出して遠くを見た。こちらを指差しながら、四、五人の百姓が駆け足で向かってくる。少し遅れて幼子を抱きかかえた女の姿も見えた。
「お師匠様、早く念を始めねば」
先程とは別の弟子の一人が顔を強張らせながら言った。
二日前のことである。一遍たち一行が鎌倉に入ろうとしたところ、幕府の御家人たちに止められた。
念仏を口にして大人数が踊り回る様は、彼らの目には異様に映るからか。それとも秩序を揺るがす扇動と取ったのか。はたまた既存の仏教があれこそ邪宗だと告げ口したか。あるいはその全てかもしれない。この三年間、各地を遊行して踊念仏を行ってきた中で、幕府が己を警戒しているということは勘づいていた。その危惧が間違っていないことが証明された。
何も幕府に楯突くつもりはないし、他宗を貶めるつもりもさらさらない。荒んだ心の者たちの救済になることだけを望んでいると懇々と説いたが、御家人はけんもほろろに撥ね退ける。挙句には即刻立ち退かねば斬るとまで言い放った。
仕方なく鎌倉入りを断念したものの、踊念仏の噂は諸国を駆け巡っているらしく鎌倉に住む者たちも、
「ここで出来ぬならば、何処にでも付いて参ります」
と、熱心に訴える。そこで鎌倉から数十人を引き連れ、同じ相模国片瀬にやって来たという訳だ。近隣の者たちが続々と集まり、今やその数は百を超えようとしている。一人でも多くの者の救いになるならばと、こうして始めるのを暫し猶予している。
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