出口 僕は、後期倭寇のことを「海民の共和国」と呼んでいるんです。前期倭寇は日本や朝鮮の海賊の集合体ですが、後期倭寇はその性格が全く違います。明という退嬰的な政権が海禁(鎖国)をしたので、それまで海で生きていた人々が陸に上がるかどうか、選択を迫られた。しかし、それまで船に乗って自由に行き来をしてきた人がいまさら百姓や軍人になるのは嫌だ、と、朝鮮や日本の海民と一緒になって共和国を作ったのが後期倭寇なんです。
安部 エーゲ海国家ならぬ、東シナ海国家ですね。そして、その頃マカオまで進出していたポルトガルは、日本に銀があるという情報を仕入れていて、この「海の共和国」を乗っ取ろうと戦略を立てる。明が、「今まで非合法だったけど、お前には貿易の許可を与えるから帰ってこい」と、王直を呼び戻すんです。
出口 そして殺しちゃうんですよね。
安部 そう。あれは、ポルトガルの仕業だと思います。なぜかというと、王直が明国に戻るとき、大友宗麟の船で戻っているんですが、その頃、大友宗麟はイエズス会と密接に関わっていましたから。
出口 一方で大友宗麟は、海の共和国の一味でもあったわけですよね。彼は、後期倭寇の日本の受け皿の一人ですから。ただ、当時のポルトガルの国力を考えると、倭寇のネットワークを乗っ取るだけの力はなかったのではないかという説もあります。むしろ、ただ乗りしたほうがコストが安いので、乗っ取る意思はなかったのではないか、と。
それまでの日本は、世界中が欲しがるものが何もなかった。でも、銀が出るとわかって、世界中の人がワッとやって来た。それがこの時期だったのですね。徳川政権が鎖国できたのは、銀を掘り尽くしていたからだと思います。
安部 ああ、なるほど。だから、海外の国々もある程度、放っておいてくれたわけですね。
この対談の続きは、オール讀物2020年5月号(4月22日売)に掲載予定です。
安部龍太郎(あべ・りゅうたろう)
1955年、福岡県生まれ。図書館司書を経て、90年『血の日本史』で単行本デビュー。2005年『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、13年『等伯』で直木賞受賞。最新刊に、『海の十字架』。
出口治明(でぐち・はるあき)
1948年、三重県生まれ。立命館アジア太平洋大学(APU)学長、ライフネット生命保険株式会社創業者。著