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ジョン・フォード論 第一章-II 樹木

ジョン・フォード論 第一章-II 樹木

文:蓮實 重彦

文學界4月号

出典 : #文學界

「文學界 4月号」(文藝春秋 編)

 と、ここまで書いておけば、おそらく『駅馬車』でB級西部劇に埋もれていたジョン・ウエイン John Wayne を本格的にデビューさせた直後に、こんどはヘンリー・フォンダ Henry Fonda と組んで撮った『若き日のリンカン』(Young Mr. Lincoln, 1939)の、あの太い木の幹のことを誰もが想起するに違いなかろうと思う。フォンダが扮しているあの《若き日のリンカーン》が、ふとしたきっかけで出会った開拓民の一家から譲り受けた法律関係の書物に読みふけるための特権的な舞台装置が、文字通り太い木の幹のかたわらにほかならなかったからである。

 まず、全景をやや俯瞰気味にとらえた大きな木の枝が生い茂っている画面が導入されるのだが、そこでの作中人物はまだまだごく小さくしか映ってはいない。だが、それにしても、何という贅沢な樹木のショットだろうかと溜息をつくいとまもないまま人が目にすることになる次の木の幹のショットでは、青年リンカーンが地べたに寝そべり、両足を思いきり大きな幹に向けて伸ばしている光景が示される。そう、だから、誰もが一度見たらとうてい忘れられまいあの美しい太くて黒々とした木の幹から話を進めることに、異を唱えるものはまさかいまいと思う。(註3

 そのとき、フォンダ=リンカーンはまだ弁護士ですらなく、雑貨屋を営みつつ、州議会議員の選挙に立候補しているというだけの身である。だが、その太い木の幹の下で法律書に出会ったばかりに、人間にとっての正義と公平とは何かという問題にようやく目覚めようとしている。すると、あたかも太い木の幹にすいよせられたかのように一人の娘が姿を見せ、艶のある声で「エイブ」とその名を呼ぶ。この太い木の幹で読書に励んでいる男がいれば、その誘惑に応えるのがもっとも自然ななりゆきであるかのように、そこには決まって女性が姿を見せるのである。それこそ、フォードにおける木の幹の主題論的な要請にほかならない。その声に応えて起きあがったフォンダは、柵を乗り越えてその声の主の前に立つ。赤毛は人に愛されないという相手の女性は籠を手にしているが、二人はまだ恋人ではなさそうに見える。だが、たがいに惹かれあう仲であることを、背後に流れ始めるアルフレッド・ニューマン Alfred Newman の抒情的な旋律がきわだたせている。

文學界 4月号

2020年4月号 / 3月6日発売
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