作曲した校歌は全国各地に散らばり、そのなかには、皇宮警察学校、ソウル日本人学校、河合塾などの名前もみえる。社歌は、先述した山一証券だけではなく、東北電力、東宝などこれまた多岐にわたった。
五〇〇〇曲という作品数は、じつはひとつずつ数え上げられたものではない。ただ、そういわれても否定できないほど、古関の作曲活動は旺盛だった。
では古関は、いつの時代にもいる、在野の「なんでも屋」だったのだろうか。いや、そうではない。昭和に活躍したということがなによりも重要である。
どの国や文明にも、永遠に参照されるべき黄金時代がある。ここでいう黄金時代とは、よくも悪くも、その国や文明が大暴れした時代のことだ。スペインであれば、無敵艦隊が活躍したころだし、イギリスであれば、ヴィクトリア朝だろう。古代のローマ帝国や、チンギス・ハンのモンゴル帝国などもそれにあてはまる。
その例にならえば、日本の黄金時代は昭和といってまちがいない。政治的にも、経済的にも、軍事的にも、日本があそこまで世界に影響を及ぼした時代はなかったし、今後もまた望みがたい。昭和の日本は、教訓の尽きせぬ泉として、小説やアートの豊穣な素材として、また回帰すべき理想像もしくは反面教師として、今後も特権的に言及されつづけるだろう。
こちらもおすすめ