- 2020.04.27
- 書評
「津波監視システム」を実現せよ! 変動帯に生きる日本人必読の理系小説
文:巽 好幸 (神戸大学海洋底探査センター教授・センター長)
『ブルーネス』(伊与原 新)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
コンテクスト
このダイナミックな作品について語るためには、まず私のことを記しておく必要があるだろう。「マグマ学者」を自称する私は、地球内部が融けてできるマグマが地表に噴き出して冷え固まった岩石の微(かす)かな呟(つぶや)きに耳を傾けてきた。そしてその呟きを翻訳することで、46億年にも及ぶ水惑星地球の歴史や、地震や火山が密集する「変動帯」日本列島の営みを紐解いている。また私は2012年に神戸大学へ赴任する前の12年間、作品では「海洋地球総合研究所(MEI)」と称される海洋研究開発機構(JAMSTEC)で、「ウミツバメプロジェクト」のリーダーである武智要介と同じ「プログラムディレクター」の職にあった。当時の部署の名前は、作品とよく似た「地球内部ダイナミクス領域(IFREE)」だった。加えて作品中の「東都大学地震研究所」は言うまでもなく東京大学のそれであり、ここは私が大学院時代を過ごし、今でも共同研究を行なっている所だ。したがって、この作品に登場する場所(入り口や廊下、それに部屋までも)、それにモデルとなったであろう人々は、ほぼ間違いなく認識できる。
私の記憶に誤りがなければ、伊与原新氏は大学院時代、地球磁場の発現時期とその強度変化を調べていた。現在の地球には僅かしか露出しない数十億年前の岩石にかすかに残された地球磁場の「化石」を丁寧に掘り出していたのだ。この研究は、地球の営みを探る最前線だった。何故ならば、地球磁場は「核」と呼ばれる地球中心の金属部分が対流することで作られ、磁場の変遷を知ることは、「火の玉地球」が冷却する過程での地球内部の冷却史やそれに伴うダイナミックな変動を知る上でとても重要なのだ。
こんな地球科学のプロだった作者は、この作品を書くにあたり、主人公の行田準平くんと同じ地震研究所広報アウトリーチ室助教をつとめ現在は慶應義塾大学環境情報学部准教授の大木聖子さん、それに本作品の要である海洋ダイナモ効果を利用した新しい海底電磁場観測装置(ベクトル津波計)と自律型海洋プラットフォーム(ウェーブグライダー、作品中ではウミツバメ)の開発と運用・観測を行っている杉岡裕子さんと浜野洋三さん(以前はIFREEで、現在は神戸大学海洋底探査センターKOBECで同僚)に綿密な取材を行ったようだ。だから流石(さすが)に、サイエンス及びそれを取り巻く状況に関して完璧な内容となっている。
津波監視システム
ここで少し、「リアルタイム津波監視システム」のことを述べておこう。南海トラフ巨大地震が切迫度を増し、あの東北地方太平洋沖超巨大地震による東日本大震災が発生したことを受けて、この地震大国ではDONET、S−netと呼ばれる海底地震津波観測網が整備されつつある。海溝型地震発生域の海底に、地震計、水圧計やその他の観測装置を多点配置し、これらを光ファイバーケーブルで連結して観測データを陸上局へ集約するものだ。これらが稼働すれば、震源から離れた陸上での観測に基づいて地震の発生場所や規模を推定して津波到来予想を行うという従来の手法に比べて、はるかに高精度に、しかも20分以上も早く津波予測を出すことができる。日本海溝周辺での運用はすでに始まっているが、南海トラフ沿いでは室戸岬沖から紀伊半島沖に設置されているのみで、まだ想定震源域全域をカバーできていない。この国家的事業の最大の難点は、ケーブルの設置などに莫大な費用と時間がかかることだ。作品でも取り上げられたように、どこで起こるか予測が難しい海底火山の噴火やそれに伴う山体崩壊、さらには津波の発生に臨機応変に対応することは困難だ。
津波を捉えるには海面の異常な上下変動を観測するのが一般的だ。沿岸域では検潮儀が用いられることが多いが、海域では米国NOAA(海洋大気庁)が開発したDART(海底津波計)が広く利用されている。このシステムは海底に水圧計を設置して海水面変動を捉え、そのデータは逐次海上ブイ(海底の錨で係留)を経由して陸上局へ送られる。ハワイ・オアフ島の太平洋津波警報センターではDARTを運用して、環太平洋域で発生する地震津波の監視を行っている。また米国の沖合を中心に環太平洋域にも点々と配置されている。
DARTは我が国にも導入され、リアルタイム津波情報への活用が期待されているが、欠点もある。まず海上ブイが大型であるために、投錨・設置や保守を行うには装備の充実した比較的大型の船舶が必要なことだ。従って、作品で取り上げられたような海底火山の活動の活発化に即対応して機動的に監視を開始することが難しい。例えば日本と同様に地震大国であるインドネシアでは、2004年のスマトラ島沖地震とインド洋大津波の発生を受けて、DARTによる津波監視体制が整備された。しかしその設置はスマトラ島やジャワ島の海溝側(南~南東側)に限られていた。そんな状況下で、2018年12月22日にスンダ海峡のクラカタウ火山が噴火、山体崩壊が発生し海へ突入した岩石や土砂が大津波を引き起こし400人以上が犠牲となった。しかし遥か離れた海溝沿いに配置されたDARTに津波が検知されたのは、海峡周辺を津波が襲った後だった。
もう一つの弱点は、津波の検知に海面の上下動に反応する水圧計を用いていることだ。この装置では確かに津波がその地点を通過したことは検知できるが、津波の伝播方向・速度を求めることは困難なのである。
ウミツバメ履歴書
以上紹介したような現状の津波監視システムの弱点を一挙に解決しようとするのが、武智要介率いるウミツバメプロジェクトだ。このプロジェクトでは、津波の検知は誘導磁場を検出する「海底電位差磁力計」が、リアルタイム観測データを音響通信によって受け取って衛星通信を介して陸上へ伝送する役割を「ウミツバメ」が担う。津波の伝播によって伝導体である海水が移動すると、地球磁場の影響で電流が流れ、そのことで誘導磁場が発生する。これが「海洋ダイナモ」と呼ばれる現象だ。実は地球磁場もダイナモ、つまり地球中心核を作る鉄(伝導体)が対流することで持続的に発生している。
杉岡さんや浜野さんたちは、2000年から地球の内部構造を明らかにする目的で太平洋に展開されていた高精度海底電位差磁力計のデータを解析して、海洋ダイナモ効果を用いた津波検知の研究を始めていた。そして2006年千島地震において津波による電磁場変動の検出に世界で初めて成功し、その後も津波の検出とその理論的解析を続けた。
しかしこの観測では、一定期間海底に設置した装置を回収してデータを取り出す必要があり、リアルタイム観測は不可能だった。そこで彼女らは波力と太陽光で自律走行する「ウェーブグライダー」に通信機能を持たせた。そして2014年には仙台沖でリアルタイム観測の実海域試験に成功したのだ。
さらに現在では、作品のモデルにもなった2013年以降噴火活動を続ける西之島においてもリアルタイム観測に向けた準備が進められている。作品で描かれたように、海洋由来災害の軽減に今後大きな役割を果たすものと期待できる。
日本列島を何度も襲った超巨大噴火
作品でも取り上げられていたように、この国は地震大国であると同時に、世界一の火山大国でもある。ここ数年でも火山災害で多くの犠牲者がでた。さらに歴史を振り返ると、1792年に起きた史上最悪の火山災害「島原大変肥後迷惑」では、島原半島雲仙眉山(うんぜんまゆやま)の山体崩壊に伴う大津波で1万5000人の命が失われた。しかし100万年と言われる火山の一生からすれば日本の歴史などほんの一瞬。人間の尺度で火山の営みを計ることはできない。
例えば、過去10万年間にこの日本列島では約10回の「超巨大噴火」が起きている。今この規模の噴火が起きれば、最悪日本列島のほぼ全域でライフラインはストップし、日本喪失につながる。その確率は今後100年間で約1%。この一見低そうに見える確率は、実はあの阪神淡路大震災の前日、1995年1月16日における地震発生確率とほぼ同程度なのである。
最も直近の超巨大噴火で、南九州縄文人に壊滅的な打撃を与えたのが、7300年前の鬼界(きかい)海底カルデラの噴火である。この活火山は海域にあるので、船舶を駆使して人工地震波を用いてCTスキャンのように地下構造を可視化できる可能性がある。世界で初めてマグマ溜りを可視化することができれば、モニタリングによってマグマ溜りの変化を捉えて噴火予測への道が開けるかもしれない。超巨大噴火予測の実現を目指して、神戸大学海洋底探査センターではJAMSTECと共同で、この海底カルデラの探査を行っている。この探査でも電位差磁力計や地震計、それに水圧計などを海底に設置しているが、ここでも「ウミツバメ」を活用したリアルタイム観測を計画している。また、自律型の海中ロボットを開発し、海底に設置した装置群に電力供給を行うことで長期連続観測システムを構築したいと考えている。
世界一の変動帯に暮らす覚悟
最後に、私がこの作品の中に見た重要なメッセージについて述べておきたい。それはウミツバメプロジェクトに消極的な漁業組合の重鎮たちに若手の漁師が言い放ったものだ。
「次に大津波が来るとき、親父らはもう生きとらんかもしれん。この先三十年、四十年とここで漁をして生きていくがは、俺らの世代ぜよ。この件については、俺ら若いもんに決めさせてくれ」
ここで忘れてはならないのは、地震そして津波、さらには大規模噴火などの「超巨大災害」は、今日幸いにして起きなければ、明日は発生確率が上がるということだ。まさに「ロシアンルーレット」である。
頻発する地震や火山噴火を経験してきた日本人は、八百万神(やおよろずのかみ)信仰で象徴されるように、荒ぶる自然を神として畏敬をもって接し、このような試練と共に暮らしてきた。そして仏教が伝来するとその命題である「無常観」を受け入れ、さらにはそれを儚(はかな)さに対する「美意識」へと昇華させてきた。こうして現代日本でも、地震や津波、それに火山災害に度々見舞われながらも、ある種の「諦念」を持って、あるいは恣意的に試練に蓋をするように今日を生きることに集中している。さらに悪いことに、人間は「自分だけは大丈夫だろう」と思い込む無謀な正常性バイアスに溺れやすい。
しかし変動帯日本列島が、寺田寅彦が言うように「厳父のごとき厳しさ」の顔を持つことは明瞭な科学的事実でもある。つまり私たちはいつか必ず超巨大災害に見舞われる運命にある。全く幸運にも自らが遭遇しなくとも、次の世代、さらにその次の世代の難儀を最小限に抑える術(すべ)を考えることこそ、今の世代の責任であろう。この作品は、私たち「変動帯の民」が覚悟を持って試練に備えることの大切さを説いているように思える。