それなので本書では、視界を「十五年戦争期」からもっと広げて、前提が整えられてゆく江戸期のことも確認しながら、明治以来、近代日本の大きな枠組みを作り上げているものとして「皇国史観」を考えてみたいと思います。
ここで念を押しておきたいのは、この「皇国史観」にせよ、そのベースとなっているとされている「国家神道」にせよ、特に江戸時代にルーツが求められるとはいえ、あくまで近代の産物だということです。明治以降、近代西洋的価値観が覇権を握る世界で日本なりの近代を創出し生き残りを図ろうとしていく中で、この国が選んだ国家の枠組みがまさに「天皇を中心とした国家」でした。それを思想として理論づける役割を担ったのが、本書で取り上げる「皇国史観」だと考えます。
なお、本書で取り上げる対象のなかには、広辞苑的な意味での「皇国史観」に批判的・否定的な立場を取るものも含まれます。「天皇を中心とした国家像」を料簡広く捉えようとすると、戦前・戦中の文部省の歴史教育など、話は狭義の「皇国史観」にやはり収まりますまい。天皇をどのように日本という国家のなかに位置付けるのかという問題は、まさに現在形でもあるのですから。「皇国史観」だけを論ずるのではなく、「皇国史観」のあとさきが見渡されなくては、改めてこういうお話を取り上げる意味が出て参りますまい。前史と後史まで、批判しているつもりの人たちまでを、大きな土俵に上げて、ひとつの筋を付けてみたいということです。
たとえば、平成から令和に代替わりする際の「天皇の退位」は、皇室典範による明治以来の規定を大胆に乗り越えた決断でしたでしょう。最後の講義では、この退位問題にまで言及したいと考えています。
(本文より抜粋)
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