なんだこれは、という声が聞こえるようだ、
なんだこれはなめてるのか
ほんとうにささやいたのか。ささやいてなどいないのじゃないか。そもそもあれは船乗りか。船乗りだとしてあれはあそこにいるのか。いたのか。
わたしはくすくす笑う、今思い返してみても小説に使ったわたしのある時期ある時間は夢のようだ、夢のような時間だった、ではなく、あの時間は夢のようだ、なのだ、いたよなあそこにおれはと地図を見て、ここだここにいたのだ確かそうだと確かめるのだけどあやふやな、いいやお前はいなかった、と誰かに強く指摘されたら、ああやっぱり、と納得しかけてしまうような、だけど中になのかどこになのか残るいくつかの強烈な感触や実感、たとえば雪の降る様子、その景色、馬が早足で進むたびに鞍と一体化した馬の背がぎゅっぎゅっと沈む股に蘇るあの感触はなんだ、となる、やはり夢じゃない、いやだからこそ夢なのか、突然前世の記憶を話し出す子どもがいるという話を聞いたことがある、知らない(はずの)場所を、してもいない(はずの)体験を、知らない(はずの)言葉をありありと語り話し出すのだそう、それに少し似ているのかもしれない、
ぼくはここを見たことある
ぼくはゆきがふるのを見てた
ぼくはうまにのっていた
I have seen here
I was watching it snow
I was riding a horse
この続きは、「文學界」6月号に全文掲載されています。
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