濱野 『犬身』の存在は『聖なるズー』の元となった論文を書く前から知っていたんですが、影響されるのが嫌であえて読まずにいたんです。冒頭、主人公の房恵が友人の久喜から臍を舐めて、って言われるところまでは読み、そのやり取りだけでもうピンと来るものがあった。すごくズー(ズーファイル=動物性愛者)的なんです。相手を大事に思うやり方が丁寧なうえに、幅が広く、オリジナリティに富んでいる。このたび『犬身』を最後まで読んで、書く前に読まなくて本当によかったなと(笑)。『犬身』はズーの話であり、「ファーリー furry」の話でもあると思いました。房恵は人間であることが自分にとっては不自然で、本当は犬になりたいんだという気持ちを持っている。そしてこれは「種同一性障害」なのだと話します。「種同一性障害」は房恵の造語ですね。しかし、読んでいて、これはまさにファーリーのことだと。というのも、二〇〇八年にアメリカの社会心理学者キャスリーン・ゲルバジらがファーリーたちの量的調査を行い、彼らは「種同一性障害」と言えるのではないか、と論文で言及しているのです。学術的には「種同一性障害」という言葉はこのとき初めて出てきたのではないかと思います。『犬身』の連載開始は〇四年なので、ゲルバジの論文より四年も前ですね。
ファーリーとは、着ぐるみをかぶって動物になる実践を好む人たちのことです。着ぐるみを着て騒いでいるだけのように見えて、彼らは本気で設定を細かく決め、動物としてのアイデンティティを作っていきます。その設定にぴったりのファースーツを作ってそこに入り、新たな自分になる。日本のいわゆる「ケモナー」にも着ぐるみを愛好する人たちがいますが、彼らがキャラクターを演じることが多いのに対し、ファーリーたちのファースーツはオリジナルで、自分のアイデンティティをもう一つ持つことになる。先ほどの論文ではそれをGender Identity Disorder(性同一性障害)になぞらえてSpecies Identity Disorder=種同一性障害と名づけ批判的にとらえています。私はその批判はきわめて西洋的で、おかしいと思っていました。アイデンティティが一つでないといけないとする論者の姿勢に対し、もっと色んな自分があってもおかしくないのにと思っていたので、『犬身』の最初の方にその話が出てきてびっくりしました。
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