ヤドカリ生活という選択
話はその三カ月前、二〇一六年二月にさかのぼる。
杉並区西端の西荻という町にある事務所で、僕はかれこれ二時間、コーヒーをがぶ飲みしながら考え込んでいた。
結論はすでに出ている。いまの事務所を維持していくのは困難。悔しいけれど認めざるをえない。
理由は主にふたつあった。経済的な事情と家庭の事情だ。前者は簡単。収入が減っている。急にそうなったのではなく、数年前から徐々に減少してきたのだが、これまでは気づかないフリをしてきたのだ。
僕はノンフィクションやエッセイを書くのが仕事の著述業で、二十代の半ばから三十年以上、雑誌に書く原稿料と本の印税で生活してきた。でも、これがいずれもパッとしない。となると、経費節減しなければならず、その筆頭が事務所の家賃ということになるのだ。光熱費などを合わせて月に約十四万円の支払いが重くのしかかるようになってきていた。
後者は、自宅が長野県松本市にあることだ。四年前に東京の国分寺市から松本へ一家で移住し、それ以来、自宅と事務所に半々で寝泊まりする変則的な日常を過ごしているのだが、僕に都合の良いスタイルが、松本で暮らす妻と娘にとっても良いとはかぎらない。もともと不登校気味だった娘が、ますます休みがちになるなど、すでに良くない兆候は表れている。
この事務所に入居したのは六年ほど前。後輩の同業者と一緒に借り、家賃を一部負担してもらっていた。後輩は移住のため二年ほどで引っ越してしまったが、その少し前から僕は『季刊レポ』というノンフィクション雑誌を発行するようになり、事務所が編集部になった。人の出入りが多く、週に何度かアルバイトを雇っていたし、在庫置き場にもしたので広さが必要だった。だが、五年間発行した雑誌が、去年の六月で終刊してからは、逆に広さを持て余すようになっていた。原稿を書くのが仕事の僕には、机があってベッドが置ける部屋があればいいのである。