生前の父は、暴力こそふるわなかったものの、働かない、女を作る、酒を飲む、口だけは達者。
当然友達もいない。幼い頃に両親が離婚し、実の父親から絶縁されており、とても寂しい子供時代を過ごしたようだった。
成長するにつれて、色んな事情がわかってきた私は、自然と父の事を遠ざけるようになってしまった。
父はそんな私に対して、自分が嫌われている事を理解しながらも、気を遣い、冗談を言ったり時にはストレートに愛情をぶつけてきたりもした。
幼い私を公園に連れて行った時、父の手を引っ張りながら「早く早く」と見上げてきた顔が忘れられない、朝方苦しくて目を開けたら、お腹の上に乗っていた私が無言で父を見つめていた、という何度も聞いたエピソードを、私が反応を示さなくても話し続けていた。
笑ってほしかったのだと思う。父に棄てられた父が、娘にも棄てられまいと必死だったのだと思う。
余命を宣告されてから、私を含めた家族は父の事を大切にし、泣き、あの鬱陶しさを懐かしく、寂しく思ったものだけど、それは死ぬとわかって実際に亡くなったから芽生えた感情であって、もしまだ生きていたら、きっと私は父の事を邪険にし続けていたのだと思う。
今まで自分の手元にあった物が、なくなるとわかったら惜しくなるような感情に似てる。
世の中の、一家の大黒柱的な優しく頼もしい「お父さん」に憧れ、父がもっと普通だったら今とは違う自分の道があったのかもしれないと、今の自分を父のせいにし、選ばざるを得なかったんだと独りよがりな事を感じていた時期もあったが、今の私に言える事は、父が自分の父で良かったという事だ。
ほんの少し何かが違っていたら自分は存在していなかったと思う事は誰しもあるだろう。
私は3人姉弟の真ん中に生を受けたが、母は姉の前に1回、弟の後に1回、生まれてきた3人を含めて5回妊娠していたらしい。
(後にその事もまた父を嫌悪する理由のひとつとなった)
父は母と出会う前に大失恋を経験しており、また母に好意を寄せている男性が父の他にも多数おり、その中から父が選ばれたらしい。
そう考えると私もまた選ばれた人間らしい。何かがひとつ違っていたら、当然この文章も存在していない。
最後に、私にも猫にまつわる思い出がある。
私は幼少期に3回引越しをしているが、そのどの家にもその猫はもれなくついてきた。
どの家でも自分の居場所を見つけて、それなりに楽しんでいたように思う。
その猫を思う時、幸せだった5人の家族の事も、必ず思い出すだろう。
あるえ https://note.com/lovin1985
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