4月23日に発売になった、村上春樹さんが初めて自らのルーツを綴ったノンフィクション『猫を棄てる 父親について語るとき』。
「文藝春秋digital」で開催中の「#猫を棄てる感想文」のハッシュタグをつけていただいた投稿のなかから注目の感想文を、先週よりご紹介しています。
第二回は、作品に触発されて、ご自身のお父さんと猫についての想い出を綴った「あるえ」さんの感想文です。
18歳から続けていた日記を、去年やめてから文章を書く機会がなかった。日記をやめた理由のひとつに、村上春樹が「死後困る」というような事を言っていたのが長年引っかかっていたからだが、最大の理由となった出来事はとても私用な事なので省略する。
今回村上春樹が父について語ったノンフィクション「猫を棄てる」感想文コンテストなるものをやっていたので、外出自粛中という事もあり、久しぶりに書いてみた。父について。猫について。
見て見ぬふりしていた感情を言葉という形にした時、自分の残酷さを認めてしまった気がして、涙がポタポタと下書きのメモの上に音をたてて落ちた。
この作品を読んでまず純粋に、村上春樹も60を過ぎ、人生を振り返っているのかな? と感じた。彼の父が戦争の事を伝えなくてはと感じたのと同様、作家である自分が父との事を文章として残していかなくては、と。
そして次に、私自身もまた、父を落胆させ続け、そしてその落胆を期待に変える機会は永遠に失われてしまったという痛みだった。
父は2016年8月にガンで亡くなった。61歳だった。人の死というものは、たとえ関わりのない人でも悲しいけれど、テレビで芸能人の訃報を聞くと、80歳まで生きられたなら人生を謳歌できただろうな、とかあと20年生きられたら何ができただろう、とか、また好きな著名人が60を過ぎていると知ると、どうしよう…と焦りを感じてしまう。(村上春樹に対しても)
つまり、父の死以来、人の寿命は60歳と思うようになった。
父は自分が長く生きられない事を感じていたようで、死の2年くらい前から、冗談めかして私の赤ちゃんが見たいという発言をするようになった。
その頃の私にとって、その手の話題は一番触れてほしくない事であった為、冷たい態度をとってしまう事が多く、父も直接は言わなくなったが、余命半年と宣告され、入院してからはまた何度も言うようになった。
きっとそれが心残りだったのだろうと、期待に応えられなかった事実と、それでもまだ父に対して腹をたててしまった後悔は、その後も私の弱みであり続けた。
母には同じ気持ちを抱いたまま逝かせはしないと、思い続けてもうすぐ4年が経とうとしている現在も私は独身である。
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