祈りの真意はわからなくても、春樹さんのお父さんが悲惨な戦場にいたことは想像できる。
そのあとお父さんは、春樹さんに語った。
捕虜にした中国兵を斬首して殺したことを。
騒ぎも恐がりもせず、ただじっと目を閉じていた彼らのことを。
その時の春樹さんは、小学校低学年だったという。
いくら戦争の悲惨さを伝えるにしても、低学年に聞かせて良い話なのか迷う。
実際に、幼い春樹さんの心には強烈に焼き付いたと言う。
トラウマに近い。
しかしその捉え方は、春樹さんがお父さんの第二次世界大戦従軍の記録を調べていくと、変わってゆく。
惨く苦しい戦争の中で、数え切れないほどの死に直面し、お父さんの心に重くのしかかっていた「命拾いしたことへの苦しさ」「死んだ者への敬意」にたどり着いた。
春樹さんはお父さんが語った理由を「引き継ぎ」という儀式である、と推測した。
〈その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?
(中略)
しかしこのことだけは、たとえ双方の心に傷となって残ったとしても、何らかの形で、血を分けた息子である僕に言い残し、伝えておかなくてはならないと感じていたのではないか。〉『猫を棄てる』 p.52
お父さんがトラウマを話したのは、人が生きる理由そのもの、つまり歴史を紡いでいく本質的な行為だったのでは、と春樹さんは結論づけた。
親が子どもの心に、傷をつける。
あってはならないことのように思っていたけど、私にとって、春樹さんの結論はコペルニクス的転回だった。
人間にとって傷をつけることは、自然な行為なのかもしれない。
石を傷つけて、文字を書くように。
木を傷つけて、道具にするように。
うまく言葉にできない重暗い体験を、せめて、言葉以外の確かなもので繋がっている子どもにだけは伝えようとするんだ。
私は自分の中にずいぶん前から抱いていた、ひとつの疑念が、むくむくと返り咲いてくるのを感じながら『猫を棄てる』を読み進めた。
親の願いと、子どもの痛み
お父さんはもう一つ、春樹さんの心に傷をつけたんじゃないだろうか。
ふたりは20年以上、絶縁状態だった。
根っこは「親の願い」と「子どもの痛み」のすれ違いにある。
春樹さんは「ここでは語らないが、ほかにも葛藤はあった」と補足しているため、これは私の勝手な推測だ。
お父さんは、戦争に邪魔をされて勉強を阻まれたから、春樹さんには熱心に勉強してほしかった。
春樹さんは、学問の勉強よりも、心の自由な動きや勘の鋭さなど、作家に近い才力に興味があった。
わかりやすく、どうしようもなく、すれ違っている。
よく耳にする、めずらしくもない話だ。
それだけに、春樹さんがとても身近な存在に思えて嬉しくなった。
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