親の期待は、子どもに重くのしかかっていく。
期待に応えられず、親が落胆する姿を見て、子どもは後ろめたさを感じる。
やがて両者の間には、深い深い溝ができる。
「愛しているから期待するんだよ」と、言われることもある。
私は、そうは思わない。
期待は一方的な願望であり、欲望だ。
愛はなにも求めない、受容だ。
私がこれにぼんやりと気づいたのは、幼稚園生のときだった。
あまりにも母が、障害のある弟ばかりを構い、私には厳しく接するので、たまりたまった不満が爆発した。
「ママは、私のことなんか嫌いなんや。どうでもいいんやろ!」
私が涙を流しながら言った時の、母の表情は今でも忘れられない。
最初は目を見開いて驚き、やがて眉がハの字に歪み、泣きそうになったのだ。
そのときのことを、母は今でも後悔している。
「あんたはお姉ちゃんやし、弟に障害があることで、学校でなんか言われるようになるかもしれへん。だから大好きなあんたが、傷つかないように強くなってほしかったけど、その期待が傷つけてたんやね。本当にごめんね」
私はたまたま、偶然、運良く、言葉にして母へと伝えることができた。
だけど、春樹さんは、きっとできなかった。
〈お互い、そう易々とは自分というものを譲らなかったということだ。自分の思いをあまりまっすぐ語れないということにかけては、僕らは似たもの同士だったのかもしれない。〉『猫を棄てる』 p.84
傷はそう簡単に治るものではないし、無視できるものではない。
むしろあって当たり前で、無意識に存在するものになっていく。
春樹さんはその傷を、どうやって抱えてきたんだろうか。
私はエッセイを読み終えたあと、春樹さんのデビュー作を読んだ。
小説『風の歌を聴け』だ。
主人公「僕」に、春樹さんが投影されていると、私は無責任に信じている。
その「僕」が冒頭でこう語っている。
〈結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。
しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈み込んでいく。〉村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫) p.8
ちなみに29歳だった春樹さんが本作で一番書きたかったことが、この冒頭だったらしい。
春樹さんは、傷を癒そうとして書いたんだ。
じゃあ本作で「親」の扱いはどうなってるんだろう。
実は、子どもを救ったり導いたりするような、物語上で理想とされる親は、一人も出てこない。
「僕」の父は、毎晩の靴磨きをさせることで、子どもに服従を強いた。
「鼠」の父は、戦争で儲けた成金で、子どもからは虫唾が走る能無しだと嫌われた。
「彼女」の父は、重い病気にかかって死に、治療費や世話の負担で子どもたちは疲れ果て、家庭は空中分解した。
ただの設定上の偶然かもしれないけど、ここまで揃いも揃って、子どもとすれ違う親しか出てこないのもめずらしいと思う。
子どもは親の言うとおりにならない。
そんな強い反抗心すらも感じてしまう。
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