傷の輪郭を、深さを、かたちを知るしかない。
傷を知れば、痛みへの予防と対処ができる。
それこそが「癒やす」作業だと思っている。
私にとって、傷を知る手段は、文章を書くことだった。
思い半ばで死んだ父のことを。
彼が愛し、怒り、寂しさを感じたことを。
記憶をたどり、喜びや悲しみを再解釈することで、自分との折り合いをつけていく。
だけど、ここには強烈な後ろめたさがあった。
それは、私と父の間だけに存在した大切な思い出を、私が都合の良いように解釈し、世に知らしめ、書き換えてしまうことだ。
人の記憶なんて曖昧だ。
私は無意識に父を冒涜しているんじゃないか、思い出を汚しているんじゃないか、と恐ろしくなっていた。
そんな私のモヤモヤに曇った視界が、パアッと開けた。
『猫を棄てる』で、春樹さんがこう書いたからだ。
〈考え方や、世界の見方は違っても、僕らのあいだを繋ぐ縁のようなものが、ひとつの力を持って僕の中で作用してきたことは間違いのないところだった。〉『猫を棄てる』p.88
ああ、そうだ。
受け取り方は違っても、父と私が二人で経験したことは、間違いのない事実だ。
春樹さんは、その事実を掘り下げて文章にし、読み返すことで「自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われる」と言った。
文章を書くことは、父のためではない。誰のためでもない。
私のためなんだ。
得体の知れない傷の形を、ひとつひとつ、拾い集めて、確かめていくんだ。
言葉にしていいんだ。
春樹さんに、救われた気がした。
傷は、いつか灯台の光になる
傷のかたちを知り、言葉にすることは、なにも辛いことばかりじゃない。
むしろ、嬉しいことの方がずっと多い。
なにかを書こうとして記憶をたどると、思い浮かんでくるのは、たいしたことのない愛しい仕草ばかりだ。
それこそ、棄てたはずの猫と対面した春樹さんのお父さんが、表情を「驚き」から「安堵」に、ゆっくりと変えていったみたいに。
何十年も前に起きた数秒の変化を、こんなに細かく書けるってことは、きっとそれだけ、春樹さんの心のやわらかいところに残っていた愛しい仕草だったのだと思う。
そしてその仕草は、春樹さんが過去を調べ、傷のかたちを知ることによって、お父さんの傷を癒やす出来事であることがわかった。
それだけじゃない。
きっと春樹さんはずっと前から、お父さんの傷のかたちを知ろうとしていた。
『風の歌を聴け』に登場し、「僕」たちが羽を休める「ジェイズ・バー」の店長は、軍隊をやめた中国人だ。
「僕」の叔父が中国の侵略戦争で死んだことを伝えると、ジェイは〈いろんな人間が死んだものね。でもみんな兄弟さ〉と言う。
深い愛と優しさが滲む言葉に、春樹さんのお父さんが死ぬまで抱いていた、中国兵士への敬意を感じずにはいられない。
かたちを知った傷は、暗い海の遠くで、かすかに光る灯台のようになる。
闇に飲まれそうになっても大丈夫だ。
光の方へと、泳いでいけばいい。
『猫を棄てる』に出会ったら。
言葉を書く確かな強さを、春樹さんからもらったのだ。
岸田奈美 https://note.kishidanami.com/
佐渡島庸平×岸田奈美「書くことで、整理されていく。語られることで、変化していく。――佐渡島庸平と岸田奈美、村上春樹『猫を棄てる』を読む。」
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また、感想文は「村上春樹『猫を棄てる』みんなの感想文」で、まとめて読むことができます。
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