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ヒマラヤ杉の年輪

ヒマラヤ杉の年輪

文:二瓶 哲也

文學界8月号

出典 : #文學界

「文學界 8月号」(文藝春秋 編)

「こちらは、本日から一緒に働くことになった井東健太郎くん。さあ……」マネージャーの岸川さんが、私に自己紹介するように促した。彼はこの現場を取り仕切る社員で五十四歳。以前は飲食店に勤務していたが店が潰れ、つなぎでしがみ付いたアルバイトのつもりが、そのまま正社員になったのだという。

 私は名前を告げ、特に言うこともなかったので、そのまま無言で頭を下げた。

「お幾つですの?」中の一人が上品な口調で訊ねてきた。強面ぞろいの女性陣の中で、唯一穏やかな顔つきをした人だった。

 私が四十歳だと告げると、パンチパーマのような髪型をした女性従業員が声を挙げ、「若いわねー」と笑った。すかさず、その横に立つ女性が「見た目はまだ二十代で通用するでしょ。いいわねー」と合いの手を入れた。

 私はわざとらしく後頭部を掻きながら、照れたような笑みを浮かべて見せた。それにしても四十歳が若いとは、信じられない言葉だった。世間一般でいえば、中学生くらいの子供を育てている者や、会社で部下を統括している者も大勢いるだろう。早くも老後のことを考えている知り合いだっているくらいだ。加えて私個人でいえば、感動する機会がめっきり少なくなった。話題の映画を観ても、ベストセラー小説を読んでも若いころのように胸躍ることはなかった。この歳になると大抵のことは経験済みで、知らないことより知っていることの方が多くなってしまったせいかもしれない。かつては好みのタイプに違いなかった女性にすらときめかなくなってきている。

文學界 8月号

2020年8月号 / 7月7日発売
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