特集

ジョン・フォード論 第一章-III-2 雨と鏡

文: 蓮實 重彦

文學界8月号

「文學界 8月号」(文藝春秋 編)

III―2 雨と鏡

 

例外的なものの力点

 

 南海の孤島を舞台にした『ハリケーン』(The Hurricane, 1937)に風雨が吹き荒れるのは題名からしてもごく当然のことだろうが、そこで危険きわまりないのは、すでに指摘しておいたように、むしろ途方もない突風と高波であり、人びとを一挙に押し流しかねないその怖ろしさに比べてみれば、降っている雨などものの数には入るまい。それ以前に撮られた『虎鮫島脱獄』(The Prisoner of Shark Island, 1936)のクライマックスにも暴風雨が吹き荒れているが、そこで真の意味で危機的なものは島に蔓延した黄熱病であり、雨そのものではない。

 では、ハレアカロア Haleakaloa 島といういかにもありそうな響きながらもちろん実在などしていないフランス領の太平洋の島を舞台にしたフォード晩年の一本『ドノバン珊瑚礁』(Donovan’s Reef, 1963)の場合はどうか。そこでもときおりこの地方特有の驟雨が降りかかる。例えば、クリスマス・イヴの晩など、屋根の普請が行きとどいてはおらぬ教会に参列した信者たちは、男も女も、一部の例外をのぞいて、天井から降りかかる豪雨を避けようとして、室内だというのにいっせいに傘を開く。すでにそれ以前に、神父のマルセル・ダリオ Marcel Dalio が礼拝堂でうらめしげに傘をさして雨を避けている姿も描かれていたのだから、登場人物たちのほとんどが室内で雨傘を開くという異様な光景は、この映画ではとりわけ驚くにはあたらない細部だといえるのかもしれない。ただ、教会でのジョン・ウエイン John Wayne はさすがに傘などさそうとはしていないし、その相棒で喧嘩仲間のリー・マービン Lee Marvin ――彼は、アメリカ合衆国「国王」という資格でこの場に招来されているのだが――にいたっては、滝のように流れ落ちる雨水をじっと頭で受けとめ続けている。その事実からも想像しうるように、真の意味でフォード的な人物たちは、雨に濡れることなどいささかも避けようとはしないばかりか、あえてそれを全身で受けとめることを好んでいさえする存在なのだといえるかと思う。

文學界 8月号

2020年8月号 / 7月7日発売
詳しくはこちら>>


 こちらもおすすめ
特集キャッシュとディッシュ(2020.07.14)
特集ヒマラヤ杉の年輪(2020.07.21)
特集対談 円城塔×小川哲 いまディザスター小説を読む<特集 “危機”下の対話> (2020.07.28)
特集ジョン・フォード論 第一章-III そして人間(2020.06.30)