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ヒマラヤ杉の年輪

ヒマラヤ杉の年輪

文:二瓶 哲也

文學界8月号

出典 : #文學界

「文學界 8月号」(文藝春秋 編)

「びっくりしたかい?」ゴミ回収用のカートに道具を積み込みながら、羽生田さんが私の顔を見た。

 何を尋ねられているのか真意が不明だったので、私は黙していた。

「半年くらい前になるかな、この現場でも針刺し事故があってね。朝礼にいたパンチパーマみたいな髪型の婆さん、あの人がやっちまってさ。今でも毎月、血液検査受けてるよ。それでも食ってくためには、仕事を辞めるわけにはいかない。年金もらってても、これが現実」

「感染症は、大丈夫だったんですか?」

「今のところ平気みたいだな。あのばばあ、人生に残されたイベントが死ぬことくらいなくせして、命の危険より金欠の危険の方が怖いって笑ってるよ。正直で、実によろしい」

 そう言って嘲笑する羽生田さんの息は酒臭かった。

 準備が整うと、病院の見取り図と照らし合わせながらゴミの回収に出発した。地下二階、地上七階建ての院内が簡略化した図面で描かれていて、そこここに赤い印が付いている。午前中に、回収する場所である。

 まずは、二階にある外来診察室のゴミから取り掛かった。内科、外科、眼科、耳鼻咽喉科、小児科、産婦人科などから前日に出た医療廃棄物が、四種類の回収ボックスの中に納まっていた。大小あるプラスチック製の中には、使用済みの注射針や血液が付着した危険度の高い廃棄物。同じく大小の段ボール製の中には、それ以外の廃棄物が捨てられている。厳重に蓋をし、新たなボックスを設置するだけの作業だった。

文學界 8月号

2020年8月号 / 7月7日発売
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