抜き差しならない生活と目に見えて迫る危機とを比較考量して後者を切り捨て、属人的理由から動くに動けない人々を単に「変」と決めつけることは、翻ってこの地域に何かが起きた時、多少なりとも我々の罪悪感を逓減してくれるかもしれない。そういう風に自身への説得を試みても納得には至らない。でも世間の残留者に対する評価はきっとその辺りにある。
階段は、二階の各部屋に至る廊下から伸びるような形で設置されていた。アパートの屋根は雪国特有の片流れになっている。もっとも、その雪がここにやってくるのはまだ三か月ほど先だろうし、その頃には自分はきっと別の場所にいるに違いない。いや、そうであってもらわねば困る。
階段を昇りつつ、モーテルみたいだな、と思った。たすき掛けをしている雑嚢を腹の方へ回してバインダーを仕舞った。昇る、上がる、という動作はいちいち身に着けている装備品の重さを思い出させてくれる。鉄帽に防弾チョッキ、実包の込められた六つの弾倉に防護マスクだとか銃剣、その他諸々のポーチや雑嚢、そして89式小銃。今はスリングを調整し、銃口が上に向くようにして左肩にこれを掛けている。住民にいらぬ威圧感を与えないよう避難誘導時は吊(つ)れ銃(つつ)にせよ、偽装は施すな、との連隊長指導だった。銃床が、携帯無線機2号(F80)のアンテナにコツコツとぶつかって気に障る。取り扱いに慣れた古参陸曹から、左腰のあたりに私物のポーチで固定して、アンテナは肩甲骨に沿うように取り付けるとよい、と助言を受けてその通りにしたが、それでもなお邪魔だった。
立松はF80よりもさらに重く大きい携帯無線機1号(F70)を背負っている。中隊指揮系に用いるものだ。彼の背中から飛び出たアンテナは、弧を描くように防弾チョッキの胸元のベルトに挿し込まれている。自分よりも辛いだろうことは容易に想像がついたが、それが通信手の役割だ。
庇のおかげで、取り敢えず雨からは解放されたが、この装備と湿気、悪天のくせに大して下がりもせぬ気温のせいで不快感はかえって増した。
この続きは、「文學界」9月号に全文掲載されています。
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