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『夜叉の都』伊東潤――立ち読み

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

別冊文藝春秋 電子版33号(2020年9月号)

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版33号(2020年9月号)

文藝春秋・編

くわしく
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「別冊文藝春秋 電子版33号」(文藝春秋 編)

 七月二十日、頼家が倒れた大江広元邸は壮絶な有様となっていた。

 ――お願いだから、もう死んで!

 暴れ回る頼家の手足を押さえつつ、政子は心中絶叫した。

「く、ぐわー!」

 白目を剝いた頼家は叫び声を上げつつ、口から嘔吐物を噴出させた。だがすでに胃の腑が空っぽなためか、吐き出すのは泡状の胃液だけだ。それでも胃は激しく痙攣しているのか、のたうち回るようにして発作を繰り返している。

「万寿、しっかりするのですよ!」

「うう、苦しい。何とかしてくれ!」

 頼家は激しく身悶え、政子や医家の袖を摑んでは助けを求めている。

 この日、頼家が広元邸を訪れるのは以前から予定されていたので、政子は自分も行くことにした。そして案に相違せず、頼家の具合が悪くなった。

「誰か助けてくれ!」

「ああ、万寿――」

「母上、苦しい。苦しいのです」

「万寿、堪えるのです」

「うう、うわー!」

 頼家は身悶えしながら蒲団を這い出し、広縁まで転がり出た。庭に控えていた義時とその郎党たちが、頼家を抱えて蒲団に戻そうとする。

「母上、此奴らを遠ざけて下さい!」

 比企一族がこのことを知る前に、政子は先手を打って義時とその郎党を呼び寄せていた。本来なら頼家の傍らから離れない比企一族だが、頼家は大江広元邸で倒れたので、広元の意向によって締め出すことに成功した。

 つい先ほどまで、広元と比企の使者らしき者とのやりとりが、表口の方から聞こえていた。比企の者を絶対に入れないよう、政子は広元に言い含めていたので、広元はうまくやってくれているようだ。

「母上、比企の者らをお呼び下さい。く、くくう」

 片手で胃の腑を押さえながら、頼家はもう一方の手で義時を突き放す。

「此奴が、わしを殺そうとしている。あっちへ行け!」

 大きく目を見開いた頼家は、その人差し指を義時に向けた。

「此奴は魔物の化身だ。父上の鎌倉府を乗っ取ろうとしておるのだ!」

「お静かに!」

 義時が雑色に指示を出し、頼家を無理に蒲団に戻した。激しく体を揺すって抵抗した頼家だったが、突然全身を痙攣させると、血の塊を吐いた。

 蒲団が見る間に朱に染まる。

 ――早く死んで!

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版33号(2020年9月号)
文藝春秋・編

発売日:2020年08月20日

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