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夜を昼の國

夜を昼の國

文:いとう せいこう

文學界10月号

出典 : #文學界

「文學界 10月号」(文藝春秋 編)

 信じられないことにそれはひとつの歌で、しかもなにげに三十分以上は平気であって、誰かのやたらかわいそうな話とか宗教の奇跡とか、ただただいやらしい噂話でオチだけ仏さまを称えるメッセージになってるとか、そういうストーリーを三味線に乗せて歌ったり唸ったりしたんやとパパはいつだったか江戸時代にタイムスリップしてきたみたいに言っていた。しかもボーカルは山伏の格好をしていて、鉄の杖を振って鳴らしてリズムを刻んだらしい。

 マジなんなん、それ?

 とにかくその「歌祭文」を名乗る奴の書き込みをさかのぼって見たら、同じタイプのほのめかしをしょっちゅう書いてるっぽくて、フォロワーもまあそこそこ持ってるんやけど、だからといって中に有名人は一人もいなかった。おんなじ悪趣味のキモい奴らとフォローしあって数字を伸ばしてるパターンや。わたしはおなじようにこの世によみがえってるはずの彼氏に即LINEを入れたし、他にもわたしたちのことが書かれていないかを急いで調べた。

 そもそも「聞いて鬼門」って言い出したら、それがわたしと彼氏のことやのは常識やった。「油屋の一人娘」なんてカンペキにわたしを指してて、なにしろわたしの実家はおじいちゃんの代から瀬戸内に面した畑でオリーブ作ってその油で財産を築いてたし、その前の江戸時代にも大坂の大きな油問屋で、北東の鬼門っていうよくない場所に本店を構えてたのは関西圏で有名やったらしい。

 こうしてわたしたちの恋愛と、やったらあかんかったことは、ずっと前の時代から何度も何度も勝手に他人の手でエントリーされていた。そのありとあらゆる過去の記憶が、部屋の中で自分が本当は誰かを思い出した途端、一気によみがえったわけやった。それこそまとめ放送の超早送りみたいに。

 ちなみに、この「エントリー」っていうんはネットで記事にすることで、昔は紙に印刷して売ったんやろうけど今はそういうんはあんまり流行(はや)らへんよね。だからわたしも彼氏も、たいていのことはネット用語に置き換えてしゃべってるし、あなたにもそうすると伝わりやすいんやないかなあと思う。

 さて、ひとつさかのぼった「前世」というか、つい半年前、やっぱりデマだらけのエントリーが集中した時も、わたしはこの世に生きていたくなかった。思い出すのもつらいけど確かにわたしはカミソリで頸動脈を切って死のうとして失敗し、ママや友だちに説得されて、神様の道を目指すことにしたんやった。

 

この続きは、「文學界」10月号に全文掲載されています。

文學界 10月号

2020年10月号 / 9月7日発売
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