- 2020.09.30
- インタビュー・対談
驚きの展開と謎を秘めた短篇集、『一人称単数』の魅力
聞き手:「文藝春秋digital」村井 弦 ,聞き手:「オール讀物」川村 由莉子
村上春樹さんの担当編集者 大川繁樹が語る
村井 僕は「ウィズ・ザ・ビートルズ」がとても気に入っています。語り手が昔付き合っていたガールフレンドとの話を、回想していく。そのガールフレンドとは、また別の女の子、自分の心の中に残っている同級生ですけれども、その少女を思い出す象徴的な存在として、このビートルズの2枚目のアルバムについて触れられる。ストーリーとしても非常に面白く読めるんですけれども、今までも村上さんの作品の中で、ビートルズは、いくつか出てきましたが、それらとはちょっとちがった描かれ方をしてるような気がして、そこがすごく印象的でした。たとえば『1973年のピンボール』に「ラバーソウル」が出てきます。村上さんは、それ以外にも、基本的にはビートルズの音楽に関してはご自身が好きなものではなくて、ある種の流行歌として流れていて、捉えていると思うんですよね。この作品でも、「ある種、壁紙のような音楽である」とお書きになっている。一方で、昔の自分の思い出も、「美しい想い出の象徴」としてこの「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」という一枚のアルバムが描かれているところに、これまでになかった感覚というものにとらわれて、それが強く印象に残っています。
大川 この作品も意外で哀しい結末があるんですよね。
村井 そうですね。その展開と共にビートルズという存在そのものが、絡み合う感じですね。
大川 ビートルズといえば、村上さんは、『女のいない男たち』について、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」のような「コンセプト・アルバム」的な作品集だと書かれています。今度の『一人称単数』はそれに倣うと、私見ですが「アビイ・ロード」的な短篇集なのかなと。そのときそのときの発意が惜しげもなく表現されていて、読者の期待に毎回、まったく違った形でこたえている。叙情的だったり、思索的だったり、強烈なまでのユーモアがあったり、本当に一瞬たりとも飽きさせない自由な作品集になっていて、それでいて稀有なまとまりをも示している。「クリーム」で出合う老人の不思議な台詞。「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」の入り組んだ構成と強烈な魅力。「『ヤクルト・スワローズ詩集』」もたまらないですね。「品川猿の告白」の猿の切々とした語りも魅力があるし、しかも猿はクラシック音楽が好き。表題作の解釈も早くもさかんになされています。
川村 『一人称単数』は、装画も本当に美しい。『アンダーカレント』という素晴らしい漫画をお描きになった豊田徹也さんがまさか村上さんの本のカバーを描くなんて思ってもみなかったんですが、どういった経緯だったんですか。
大川 私自身が豊田徹也さんの熱心なファンでした。村上さんも豊田さんの画風を気に入ってくださいました。その二人が組み合わさったのは、本当に幸福なことでした。このカバー絵と、猿がLPレコードを掛けている扉絵をいただいた瞬間は忘れられません。
川村 この豊田さんにご依頼をされる際に、最初は固く断られたというエピソードを伺いました。大川さんがサイゼリヤで豊田さんを二時間かけて説得したって言う……。
大川 すっぱりと断られました。その後二時間食べたりワインを飲んだりしながら、説得したと言うよりも「お願いしますよ、やってくださいよ」と愚直にくりかえしただけなんですけどね。とにかく豊田さんがもっていらっしゃる、ものすごい才能を信じていたので、こういう結果が出て、私は本当に幸福です。
村井 村上さんの魅力が詰まったとっても素晴らしい一冊なので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
川村 大川さん、今日は本当にありがとうございました。
このインタビューは、「聞く雑誌」voicy「文藝春秋Channel」で配信されたものを再構成したものです。
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