- 2020.10.20
- インタビュー・対談
新総理・菅義偉の唯一の著書からわかる、政治家の信念とは何か。
菅 義偉
『政治家の覚悟』(菅 義偉)
出典 : #文春新書
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
三十歳を目前にした一九七七年、事務所を辞めて秋田へ帰ると切り出しました。すると、小此木さんが唐突に「野呂田芳成さんの参議院選挙の応援で秋田に行くから、お前もついて来い」と言って、連れていかれました。さらに、突然「お前の実家に寄ろう」と言い出した。そして、私の実家の両親の前で「もう少し私に預けてくれませんか。ちゃんと鍛えますから」と言うのです。これで両親もなかなか「帰ってこい」とは言えなくなり、当の私も腹を固めざるを得なくなりました。
小此木事務所には七人の秘書がいて、私はその中では一番若くて下っ端です。ところが入って九~十年目のときに小此木さんが通産大臣になり、私を大臣秘書官に登用してくれました。おかげで小此木さんにお供しながら、ヨーロッパやアメリカなどを三十代半ばで回ることができました。
その後、一九八七年に三十八歳で横浜市会議員選挙に出馬しました。それまでの私にとって市会議員というのは雲の上の存在で、自分がなれるとは思っていません。ところが、偶然、横浜市西区の七十七歳の現職議員が引退し、息子を後継に指名して出馬させようとしていたものの、その息子さんが急逝されてしまったのです。勉強こそあまりしてこなかった私ですが、『三国志』や戦国武将の歴史の本はよく読んでいたので、「もしかしたら、俺は運が強いのかな」と思いました。そして、「やろう!」となったのです。ただ二転三転して、その議員が「また出る」と言いはじめ、自民党の人たちからは「今回はやめておけ」、「四年後にまた出ればいい」と何度も諦めるように言われました。しかし、私は頑として応じなかった。「これはチャンスだ」と思って貫き通しました。そこが一つの運命の分かれ目だったと思います。チャンスが巡ってきた時に判断できるか。やはり最後は本人の覚悟しかありません。
ただ、出馬はしたものの、そのときの選挙区は、地元意識が強く、私のようなよそ者は厳しい状況だと見ていました。ですが、私はあえてチラシや名刺に「秋田出身」と書いた。すると、都会には地方出身者が多かったこともあり、「俺も秋田だ」「俺は東北だ」「九州だけど同じ地方出身だ」と応援の声が徐々に増え、なんとか当選することができました。
そして地方政治に携わる中で、国民の生活をさらに良くするためには地方分権を進めなければならない。そういう思いの中で国政を目指し、一九九六年、四十七歳のときに衆院神奈川二区で初当選させていただきました。
それ以来、八期連続で国政に携わっており、大臣政務官、副大臣、総務大臣を務め、第二次安倍内閣では官房長官として国のために改革を進めてきました。
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