- 2020.10.20
- インタビュー・対談
新総理・菅義偉の唯一の著書からわかる、政治家の信念とは何か。
菅 義偉
『政治家の覚悟』(菅 義偉)
出典 : #文春新書
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。板橋区の町工場に見習いとして住み込みで働き始めたのですが、想像していた生活とまるで違いました。本当に厳しかった。中学を卒業して先に上京していた同級生達と、日曜に集まることだけが楽しみでした。この時期、ここでこのまま一生を終わりたくないという思いが芽生えてきました。ほどなく会社をやめて、築地市場でのアルバイトなどをしながらお金を貯めました。一番思い出したくない青春時代です。
そして、やはり大学に行かないと自分の人生は変わらないのではないかと考え、勉強して二年遅れで法政大学に入りました。当時、私立大学の中では法政の学費が一番安かったのです。
当時は学生運動が全盛で、大学はほとんどロックアウト状態でした。授業も試験もなくレポート提出ばかりだったことを覚えています。私は学生運動を尻目に、生活のために稼がなければならないので、銀座にある日劇の食堂でカレーの盛り付けをしたり、NHKでガードマンをしたり、新聞社の編集部門で雑用係をやっていました。自分を思い切って試してみたいと思い、空手にも打ち込んでいました。
卒業後はいつかは田舎に帰るつもりでいたので、それなら東京でもう少し生活したいと思い、会社勤めを始めます。そこで世の中がおぼろげに見え始めた頃、「もしかしたら、この国を動かしているのは政治ではないか」との思いにいたります。そして、「自分も政治の世界に飛び込んで、自分が生きた証を残したい」と思うようになったのです。当時私は二十六歳でした。
ですが、伝手などありません。法政大学の学生課を訪ねて、「法政出身の政治家を紹介してほしい」と相談をしました。そこからの縁で通産大臣も務めた小此木彦三郎先生の秘書として働くことになりました。小此木先生は、けじめとか基本を大切にする人でした。繊細で、箸の上げ下げまでうるさかったのですが、一度信用すると、何でも任せてくれました。「毎朝必ずうちに来い」と自宅に呼ばれて、ご家族と一緒に朝食を食べさせてもらっていました。今思えば、一番可愛がってくれたのだと思います。
ただ、秘書になり政治を間近で見るようになったものの、当時の私には「地盤」も「看板」も「鞄」もありません。ですから、政治家になれるとは思っていませんでした。いつか田舎に戻らなければならないという気持ちは消えていなかったのです。
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