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深川浅景からコスモスの夢

深川浅景からコスモスの夢

文:金井 美恵子 (作家)

『飛ぶ孔雀』(山尾 悠子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『飛ぶ孔雀』(山尾 悠子)

 もちろん、小説は華麗で詩的な狂気や幻想の言葉だけで出来ているわけではなく、そこにはささやかで日常的な、しかし、今では忘れられた物となった小さな道具が世界にうがたれた小さな穴のように登場して世界の豊かさをさししめすのである。

 たとえば、『飛ぶ孔雀』の火のなくなった世界の「火種屋」である。幻想小説というジャンルのものとして語られがちなこの小説の中で、ごく普通の空間と時間の中で描写されているかのような調子で「角に自販機も置いている煙草屋」で持ち帰るための個別の容器に入れて火種を売っているのだが、それは、「木炭末に保温性のたかい茄子の茎の灰や桐の灰を混ぜ、通気孔の開いた金属容器内で燃焼させるカイロ、あるいは白金触媒式カイロのことを思い違いして」いるのではないかと言う者(むろん、七十歳以上の年よりであろう。私もそういった小さなカイロ類をはっきり覚えている)がいるころ、祖母たちの愛用していたという、茶道具入れの袋物のように凝った火種入れが描写されるかと思うまに、「妙な黒い犬が火を咥えて逃げ出す姿勢のまま静止していたりする」空間が折れ曲り、読者はあてどのない場所へ迷いこみ、たしか黒い妙な犬だったのに、いつのまにか、山頂の工場なのか研究所なのか、くわしいことはわからない施設の「宿舎棟にいる美しい犬」となって住んでいて、正体もさだかではない腕に傷をおった「Q」の散歩の申し出を《遠慮がちに拒む》というありさまである。

 凝ったイメージと描写の断片は、誰もが良く知っている《納得》へと心地良く収斂される物語として語られるわけではないのだし、ユーモアなのか、それともそれが作者の強烈な嗜好である悪趣味なのか、にわかに決めかねる執拗なイメージの、腹八分という健康的なお行儀を無視した山尾的世界は、作者本人が語ろうとしても手古摺るところがあるのかもしれない。自作解説で「眠れる美女」について書きながら、澁澤龍彦が幻想文学新人賞の講評の中で用いた「幾何学的精神」という言葉を引用し、わずか五枚の「眠れる美女」に見るべきものがあるとしたら「骨格となる(紛れもなく、コテコテの)幾何学的精神である、と密かに信じているのだがどうだろうか。」と書いているが、その書き出しの「世界の中心に平坦な大陸があり、その中心に白百合の花咲く台地があり、その中心には大理石の石壇とガラスの柩、なかに一人のうら若い美女が眠って」いるという状態は、フロベールとジョイス、ボルヘスを分析するM・フーコーの『幻想の図書館』の中で引用される『聖アントワーヌの誘惑』の隠者がかくれ住む場所の芝居のト書きめいた説明「とある山の頂き、大きな岩石にかこまれ、円く半月形になった台地=舞台」(工藤庸子訳)なのであり書物が描き出す情景としての舞台装置として現われるのだ。山尾悠子にとって、空洞や螺旋や腸詰めの形態と重なる劇場の空間はおなじみのものだが、そこで上演される芝居のようでもある小説には、ウロコのたっぷりついた大蛇や薔薇色の脚の踊り子たちが、私の好みで言えばだが、ハリウッドの魔術師の一人バズビー・バークレー調の幾何学的人間万華鏡とも称すべき群舞を踊っていることを夢見させてくれそうだ。『飛ぶ孔雀』の四万坪ほどの敷地のQ庭園でおこなわれる茶会の描写で、「波柵」の竹細工の半円が重なってリズミカルな列となって芝生の迷路を形づくり、さらに「野点傘と大量のテントが入り混じった(略)どう見直しても絶対にあり得ない光景」の奇妙なというか無気味な《唖然感》は、前衛アーチスト、クリストの、日本の田園に大量の傘を配置するというアンブレラ計画を思い出させたりもするではないか。

文春文庫
飛ぶ孔雀
山尾悠子

定価:814円(税込)発売日:2020年11月10日

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