須賀しのぶさんの手紙
皆川博子様
『U(ウー)』、とても幸せな読書時間でした。壮大なドラマに最後まで夢中でページを捲っておりましたが、まず十七世紀のトルコと第一次大戦下のドイツを結ぶというアイデアに度肝を抜かれました。本編では流れが本当に自然で、同じように圧倒的な軍事力によって一時は隆盛を極めながら衰え破れる国として、なるほどこれしかないと深く納得するのですが、先生がどのようにこの両国の時をまたぐ話を思いつかれたのかお聞かせいただければ幸いです。
同じように、「塩」についての描写も、「なるほど」と唸っていたのですが、このすばらしい着想のきっかけは何だったのでしょう。まちがいなく超常的な現象であるはずなのに、ごく冷静に「清らかでも尊くもなく、ただそこにある」命として描写されているところが、とても好きです。
またUボートについても、オスマントルコのイェニチェリや小姓の少年たちの生活についての描写も非常に鮮明で、歴史好きなこともあり、夢中で読ませていただきました。とくにオスマントルコの、アフメト一世やオスマン二世の時代は資料に乏しいので、ご苦労されたのではないかと推察しますが、それを全く感じさせない描写にうっとりしました。資料はどのように使われていらっしゃるのでしょう。
今作だけではなく、歴史として存在する世界とその奥にある見えざるものを自在に操られ、真実を炙り出される皆川先生。超絶技巧とバランス感覚が揃ってはじめて可能だとは承知しているのですが、執筆にあたってとくに気をつけられていることなどありましたらお教えいただければ幸いです。
また、今後の作品の構想など、もしよろしければうかがいたいです。
質問ばかりで申し訳ありません。
須賀しのぶ様
お忙しい中を拙作をお読みいただき、ありがとうございました(あ、先生なしね。気恥ずかしいので)。紙数が限られているので、お答えに重点をおきますね。
Uボートには、かねがね関心がありました。『Uボート、西へ!』というWWIのノンフィクションを読み、数行記されている〈イギリスの捕虜収容所から脱出したUボート乗員を、他のUボートが救出に向かったが失敗した〉という事実に興味を持ちました(WWIIでも、同様のことがあったと、別の本で知りました)。
オスマン帝国に関しては、以前からこの大帝国の興亡に興味を持ち、関連本を読み、強制徴募(デウシルメ)の存在が心に残りました。オスマンに征服されたキリスト教国の少年たちが、貢ぎ物のようにオスマン帝国に連行され、強制的にイスラム教徒にされる。
それぞれ、単体で小説にしても、浅いものになる。ことに、Uボートはすでに傑作が多々あります。デウシルメも、その少年の一代記を描いても、オスマン大帝国の衰亡までは描ききれない。
二つを融合して一つの物語を構築したいと思いました。
〈塩〉は、以前から惹かれていました。人間が存在する以前から在り、生物にとって不可欠なもの。『塩の世界史』という書物を、興味深く読みました。その中に、タキトゥスの言葉が引かれており、二つの素材が〈塩〉で繋がりました。この言葉は、『U』のエピグラフに用いました。『死の泉』の取材で、ベルヒテスガーデンの塩鉱を見学した経験も重なっています。
アフメト一世、オスマン二世は、たしかに資料は乏しいのですが、その分、想像(妄想?)を自由にひろげることができて、書くのも楽しいです。ネットに、アフメトとそのハレムを扱った映画が、幾つかの場面とともに紹介されており(日本では未公開、DVDも発売されてないようです)荷車で運ばれるデウシルメの子供たちの場面があって、イメージがはっきりしました。
黙阿弥が、「嘘を書くのは作者の特権だが、知らないで間違えるのは作者の恥だ」という意味の言葉を残しています。私もそれに倣おうと思っているのですが、無知の恥さらしは、時折やらかします。
この先、連載のお約束は二つあるのですが、体力の限界をつくづく感じています。
須賀さんのように、地道な下調べと奔放な想像力と、新しい視点に立脚した分析力で創作を続けて行かれる若い作家がおられるのは、たいそう頼もしく楽しみです。
須賀さんの次作、あるいは現在執筆中のお作についてもうかがえますか。
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