皆川博子さま
お返事ありがとうございます。
「雁字搦め」を巡ってのエピソードは、そういえば昔、そのようなお話を少しお聞きした憶えがあります。あのころは「リアリティ」という言葉が今よりもずっと狭い意味でしか捉えられていなかったし、読み手のニーズに対する編集者の認識にはそういった傾向が多分にあったのですね。特にミステリーを含めた中間小説界隈では、それが顕著だった気もします。
僕の場合はずっと京都に住んでいたのに加え、担当編集が宇山さんだったおかげもあって、当初は「非難の声」がさほど激しく聞こえてくることはなかったのです。同じような志向性を持った「仲間」もたくさんいましたしね。それでもあの時期、皆川さんから優しいエールを送っていただいたのは本当に嬉しく、大きな励みになったものでした。特に九〇年発表の『霧越邸殺人事件』については、作者の狙いや想いをあれほど的確に読み取って称賛してくださったのは当時、皆川さんだけでしたから……などと昔話を続けるときりがないので、この辺にして──。
新たな長編『U(ウー)』が完成し、近々刊行の予定であると伺っています。
一七世紀初頭、オスマン帝国に捕えられた三人の美少年が辿る数奇な人生と、第一次世界大戦中のドイツ軍、潜水艦Uボートの極秘任務。二つの物語が同時に進行していき、やがて……というあらすじを読んでもう、わくわく&うっとりしてしまいます。「虚構の中にいるのがすき」とおっしゃり、ご自身の美学に適うものたちへの「好奇心」にどこまでも忠実な作家・皆川博子の、魂のしなやかさ。軽々と国境を超え時代を超え、“現実”を超え……読む者をいつも、目眩(めくるめ)く虚構世界へと引きずり込んでくださいます。
今年は六月の本格ミステリ作家クラブのイベントで、久々にお会いできましたね。あのとき皆川さんのお姿を見て、とっさに「白い魔女」という言葉が頭に浮かびました。もちろん感嘆と憧憬をもって、です。
魔女といえどもしかし、くれぐれもご体調にはお気をつけください。変わらぬご健筆をお祈りしております。
二〇一七年十月某日
綾辻行人拝
綾辻行人様
第二信、ありがとうございました。
綾辻さんと京極夏彦さん、辻村深月さんのトーク、拝読しました。『十角館の殺人』愛蔵版に付された冊子に若い作家の方々が寄せられたエッセイとあわせて、『十角館……』の影響がどれほど大であったか、あらためて認識しました。ほんとに、この三十年で、ミステリの幅は広がりましたね。扇のようにひろがる、その要が綾辻さんの『十角館……』ですね。同世代のお仲間がおられたこともよかったですね。有栖川有栖さん、法月綸太郎さん、我孫子武丸さんたちが、一斉に走った。山口雅也さんも凄かった。竹本健治さんはゆったりと、独特な世界を書いておられた。京極夏彦さんが新しい一面を開拓された。先駆者であった島田荘司さんの辛苦を思い返しています。人工的な世界に理解を持つ編集者が、島田さんの最初の担当者を含め、当時、ほとんど周囲にいなかった。中井英夫さんの本を作りたくて出版社に入社したという宇山さんの存在は貴重でしたね。
六〇年代末から七〇年代は、ラテンアメリカ文学など世界の文学は幅広く邦訳されていたのに、日本の中間小説界だけは、頑固に生活リアリズムを重視していた。一方で、SFにあっては、筒井康隆さんや小松左京さんを初めとする方々が目覚ましい作品を発表しておられたけれど、当時は正当に評価されていなかったと思います。読者のほうが評者より進んでいた。
一度、雑誌の対談をご一緒したことがあるの、おぼえていらっしゃいますか。タクシーが渋滞に巻き込まれ、お約束の時間より、私、大幅に遅れてしまった。あのとき、綾辻さんはひどく体調が悪かったのに、笑顔で迎えてくださり、火の付いた煙草を眼に突っ込む手品まで見せてくださったのでした。あれ、怖かったよ。
私の体調を気遣ってくださって、ありがとうございます。『U』は、担当の編集の方がたいそう力強く伴走してくださったおかげで、ラストまでたどりつけました。骨折する前に書き終わってラッキーでした。いまや、パトラッシュに語りかけるネロの状態です。でも、物語とまったくかかわらないで時を過ごすのも、耐えがたいだろうと思います。次の連載の資料が担当編集者M子ちゃんからリハビリ病院に送られてきて、何より強い励みになっています。こうやって綾辻さんに返信を書くのも、物語界とつながる、嬉しい糸です。
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