わたしはわたしをまだ許さない
先月号で、綾くんがわたしの母マスについて書いた文章に引き込まれて、中学三年の晩秋の、ある一日のことを思い出しました。
今から六十年前の昭和二十四年(一九四九)初秋、弟とわたしの二人は、仙台郊外のラサールホームというところに入りました。戦さに敗れてまだ数年、街にはバラックに毛の生えたくらいの建物しか並んでいなかったころ、駅のまわりに闇市がかさぶたのようにべったりとはりつき、その闇市に汚れた服装の日本人たちが食べものや着るものを求めて蟻のように群がっていたころの話です。
ラサールホームは丘の上の松林のなかに建っていました。木造の平屋でしたが、そのころでは珍しいモルタル塗りの本格的建築、松の梢(こずえ)をわたる秋風も心地よく、ひょつとしたら天国のようなところへ来たのではないかと思ったくらいでした。
それまでは、一関(いちのせき)市内を流れる磐井川(いわいがわ)の川べりの土蔵に住んでいました。この磐井川は二年続けて大氾濫を引き起こして、街全体を一面の湖のようにしてしまいました。そこで「東北地方の土木会社が全部集まってきた」というくらいの大規模な堤防工事が始まり、小さな土建屋さんをおこした母もこの大工事に加わっていた。組員が二十名前後の、大林組の孫請けのそのまた孫請けといった程度の井上組の組長でした。
土蔵を改造した飯場に寝泊りしていた組員のみなさんの顔ぶれはものすごいもので、たとえば飯炊(めした)きのおじいさんは酒に酔うたびに、「昭和の初めのころの話だけどね、これでもあたしは上海(シャンハイ)で日本の諜報員をやっていて、人を二三人殺したことがあるんだ」と威張っていましたし、忌(い)まわしい事件をおこして目下逃走中といったような陰気な顔つきのおじさんもいました。酒が入るとかならず博打(ばくち)になりますし、おしまいはたいてい取っ組み合いの喧嘩で終わることになっていました。
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