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22歳の誕生日まであとわずか。ついに覚悟を決めたおれは……

22歳の誕生日まであとわずか。ついに覚悟を決めたおれは……

藤田 祥平

電子版35号

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

「別冊文藝春秋 電子版35号」(文藝春秋 編)

1

「やっぱり、この国、おかしいですよ」と花奏は言った。

「そうか?」とおれは言った。

 おれたちは琵琶湖のほとりにいた。

 信子の遺灰を湖に撒いたあとのことだ。

 わずかな残照におたがいの輪郭だけが見え、湖風がやたらと吹きつけて、寒かった。

「お坊さんにお経を読んでもらってないです。これだけのことをしたのに、お墓もないです」

 不服そうだった。

「本人の遺志だ」とおれは言った。「〈いかなる種類の宗教的儀式も禁ずる。遺骸は火葬とし、灰は琵琶湖に撒く。撒く場所はどこでもかまわないが、綿貫情報官が決めること〉」

「どこでもかまわないって?」

「あんまりいろんな人間に来られないようにしたんだろうな。自分と関係のない場所が、自分のせいで荒らされるのが、いやだったんだろう」

「荒らされるって、だれに?」

「おまえの言う、これだけのことをしたあとでも、官邸に届く手紙の半分は、政府への怒りを表したものだ。至極当然だとおれは思う。これだけのことをやったんだ。手紙で済んでいて、ありがたいくらいだ」

「でも、信子さんのことを思って、彼女のために祈りたいひとは、どこで祈ればいいんですか」

「どこだっていいが、もしもそうしたいなら、琵琶湖のほとりに来て祈ればいい」

「こんな、寒々とした場所で?」

 おれは琵琶湖を見た。

 湖に光はなかった。周囲に人が住んでいないからだ。

 この湖は、国を作るときに神がよろけて手をついたので、できた。

「ここは、わりとうまくおれたちの精神風景を表していると思うけどな。荒涼としていて、風が肌を刺すようで、見渡すかぎりなにもない」

「どうして?」

「どうしてって、何が?」

「どうしてそんなふうに感じなきゃいけないの?」

 うーむ。

「おまえ、十六歳だよな」

「はい」

「戦争が起きたとき、何歳だったことになる」

「六つでした」

「それじゃあ、わかるはずないよ。それに、戦地から遠く離れた下関だろう。苦労はしたかもしれないが、暮らしそのものは、ほとんど戦前と変わらなかったんじゃないか」

「わかるはずないって、何がですか。わたしと兄さんがどんな目に遭ったか、知らないくせに」

 おれは自分の額に手を当てて、撫でた。

「信子ちゃんの故郷は、沖縄なんだ。いまは存在しない、あの南の島だよ。家族で本州を旅行しているとき核が落ちて、本島が消し飛んだ。帰る家を失って一年間、放浪した。人々はなにひとつわたしたちに与えなかった、と彼女は言ったよ。それであの子はああいう人間になったんだ。年賀状を送り、中元を交換しあっていた親類にさえ拒まれた。農家の軒先で、土下座をした父親の頭が踏みつけられるのを見た。ある夜、母親がどこかへ消えて、髪を乱して帰ってきた、米がたったの二合入った袋を携えてな。これがどういう意味かわかるか?」

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版35号(2021年1月号)
文藝春秋・編

発売日:2020年12月18日

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