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甘さ、優しさ、楽しさ、苦さ、辛さ――人生の必須要素が煮込まれたシリーズ

甘さ、優しさ、楽しさ、苦さ、辛さ――人生の必須要素が煮込まれたシリーズ

文:藤田 香織 (書評家)

『草原のコック・オー・ヴァン 高原カフェ日誌II』(柴田 よしき)

出典 : #文庫解説
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『草原のコック・オー・ヴァン 高原カフェ日誌II』(柴田 よしき)

 というわけで春夏秋冬を経験し、本書はSon de vent二年目の秋から幕を開ける。

 去年は冬場の営業は厳しいと承知の上で休業せず、やっぱり赤字になってしまったが、今年はもっと踏ん張りたいと、奈穂は宴会やパーティなどの営業にも力を入れ新たな展開へ挑んでいく。いずれは店で出せるようにパン作りの勉強にも取り組み、裏庭に面したサンルームを温室にして野菜を育て、年末には懇意にしている「ひよこ牧場」とコラボして洋風オードブルおせちの販売も行った。

 物語のベースは、そうした「都会から移住し高原でカフェを開いた主人公が、自分の店を軌道にのせるための奮闘記」であることは間違いない。奈穂は慣れない田舎暮らしに戸惑うこともあれば、新しい恋もしている。彼女が作る料理は、どれもこれも実に美味しそうで、シリーズの大きな読みどころだ。チキンとトマトでスープを取った洋風おでん、楽し気な空気で膨らんでいるようなポップオーバー。タイトルにも使われている、蜂蜜とラズベリージャムを隠し味に使ったコック・オー・ヴァン。栗と鶏肉の煮込みや、野菜と塩漬け豚肉のチャウダーは、自分でも作ってみたい! と付箋を貼った。実際、前作に登場する野菜やマヨネーズなどを入れないシンプルなベーコンサンドと、低温のグレープシードオイルでゆっくり火を通したチキンのコンフィを試したこともある。ベーコンにガリガリ挽く黒胡椒のちょっとした加減で驚くほど味が変わることを発見した。「高原カフェ日誌」という副題から抱くイメージどおりの楽しさを、まさに味わうことができる。

 その一方で、前作では先に触れた奈穂の過去や田中さんの正体、本書では、長年荒れ地のままだった土地を買い取り、ワイン用の葡萄を作るため移住してきた若者・森野大地にまつわる噂と真実など、各話を貫く謎も読ませる。個人的には、大地がコーヒーをかけられた一件で、奈穂が弁護士の沼田恭子の事務所を訪ね、謝罪して欲しいと言う場面がとても印象的だった。ここで詳しくは触れないけれど、謝罪って、そういう意味でなのか! と唸り、その後の沼田弁護士の言い分もじわりと沁みた。「少なくとも、それはわたしにできる仕事ではありませんね」とはっきり口にする、冷静で客観的で公平な発言も。あぁ柴田さんらしい鋭さだな、と思い、こういうとこが好きなんだよ! とニンマリしてしまった。

 でも、それ以上に、個人的にこのシリーズには決して読み過ごせない魅力があると感じている。それは「人生に迷える人々」の描き方だ。

 奈穂が所属することになった小さな「村社会」には、先祖代々同じ土地に住み続けている者もいれば、都会から移り住んできた者もいる。奈穂の恋人となる村岡涼介のように一度都会に出て戻ってきた者も、村から出ていく者もいて、このシリーズではそうした個々の事情が、思いのほか深く描かれている。

 たとえば、本書では店を閉めて修業に出たと簡単に記されている「あおぞらベーカリー」の伊藤夫婦。成功した移住組だった彼らが村を出て行った事情は前作で綴られているのだけれど、初読のとき、その場面で私は目を閉じて込み上げてくる気持ちをぐっと堪えた。必死で努力をして、ようやく立てた場所があって、そこにたどり着いたからこそ、見える景色があり、分かることがある。自分たちの焼くパンは人気もある。喜んでもらえている実感もある。現状のままでも十分、悪くない。でも、だけど。不足している、届かないものがすぐ傍にあることに伊藤夫婦は気付いてしまう。それはもう、伊藤夫婦に限ったことではなくて、ミュージシャンでも漫画家でも、作家でも会社員であっても経験し得る出来事だ。その迷いを、苦悩を、流すことなく柴田さんは描く。自分の手を見て、「わたしの手じゃない」と思う農家に嫁いだ本田小枝の屈託も、果樹園へ嫁ぐ新婦が気合の入った手作りのウエディングケーキを振る舞う意味も同じように。

草原のコック・オー・ヴァン
高原カフェ日誌Ⅱ
柴田よしき

定価:836円(税込)発売日:2021年03月09日

風のベーコンサンド
高原カフェ日誌
柴田よしき

定価:748円(税込)発売日:2018年04月10日

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