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甘さ、優しさ、楽しさ、苦さ、辛さ――人生の必須要素が煮込まれたシリーズ

甘さ、優しさ、楽しさ、苦さ、辛さ――人生の必須要素が煮込まれたシリーズ

文:藤田 香織 (書評家)

『草原のコック・オー・ヴァン 高原カフェ日誌II』(柴田 よしき)

出典 : #文庫解説
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『草原のコック・オー・ヴァン 高原カフェ日誌II』(柴田 よしき)

 奈穂の店に突然現れ、「涼介のことはどうなってる」と詰め寄ってきた岩田もまた然りだ。いい加減な気持ちでいるなら近づかないでくれとか、涼介は純朴な男だからとか、まったく余計なお世話だし、「涼介の嫁にあんたはふさわしくない」なんて言われる筋合いはない。個人的には何よりも、涼介を村の希望だと言い募るのが気に入らなかった。他人の人生に、自分の夢や希望を勝手にのせないで頂けますか? とイラついて、うんざりもした。けれど、読み進めていくと、岩田が決して話の通じないイヤな奴というわけではないと分かってくる。岩田は奈穂に、かつて森野葡萄酒に期待を抱き、夢を見た村人たちが、夜逃げ同然に村を出て行った森野夫婦を悪く言わずにはいられなかったのだという話をしながら、気付くことがあったのではないか。自分もその時の村人たちと同じことをしかけていると、分かったのではないか、と思えてくる。

「ひよこ牧場」の工藤南は、村の男たちについて、(男尊女卑的な)差別をしているつもりはなく、ただ単に自分たちが生きてきた「村社会」での常識以外の発想がないのだろう、と語る。岩田もまたそんな「村の男」のひとりだったのだ。唸らずにはいられない、地味巧い場面だ。

 子どもの頃から「他人の気持ちになって考えなさい」と言われて育ってきたけれど、実際に「他人の気持ち」を推し量ることは難しい。現実社会において、自分なら小枝のようなさして親しくない人の愚痴など聞きたくないし、岩田のような男と話をするのも避けたい。厄介なことにはなるべく関わらない、面倒な人とは距離を置く、ということは有効な自衛手段だと思う。けれど、そうして、逃げて、目をそらして、切り捨ててばかりいると、わからないことはどんどん増えていく。「他人の気持ち」だけでなく、「自分の気持ち」も見えなくなっていく。楽しくて美味しくて優しい味つけがなされているこのシリーズには、そうした生きていく上でのとても大事なものが、じっくりと煮込んであるのだ。甘いだけでなく、苦みも辛みも感じられるのは、味わう読者への信頼があってこそだろう。

 多くのシリーズものを持つ柴田よしきさんの作品のなかには、他にも初の時代小説となった『お勝手のあん』(ハルキ文庫)から連なる「あんちゃんシリーズ」(勝手に名付けました)や、丸の内のオフィス街にある小料理屋を舞台にした「ばんざい屋シリーズ」(『ふたたびの虹』『竜の涙 ばんざい屋の夜』ともに祥伝社→祥伝社文庫)など、「食と人生」が描かれているものがある。いずれも「旨味」は見事に異なるので、未読の方は、この機会に手を伸ばして欲しい。初めての料理を知る可能性は大だし(私がいちばん興味を持ったのは『ふたたびの虹』に出てくる「タンポポの根のきんぴら」。二十年近く前に読んだのに、未だ食べる機会がない!)、何よりも、今、見ている景色が、世界が、確実に広がるはずだ。

 

〈折れる。挫ける。倒れる。痛む傷をかばいながら起き上がる。そしてまた、歩き出す〉。何かを始める。見て、近付いて、触れて、初めて知る。その小さな喜びと興奮が活力になる。人生のゴールなんて誰にもわからないのだ。踏み出した足は、前へ進むとも限らない。迷うことも、逃げることも、暴走することもあるだろう。でも、それでも。

 動き出そう。道はまだ、続いていると信じて。

草原のコック・オー・ヴァン
高原カフェ日誌Ⅱ
柴田よしき

定価:836円(税込)発売日:2021年03月09日

風のベーコンサンド
高原カフェ日誌
柴田よしき

定価:748円(税込)発売日:2018年04月10日

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