「桃のプライド」
タレント活動をする環が主人公となる。環は三十歳を越え、若い頃のようにちやほやされることのなくなった自分に、焦りを感じている。タレントとモデルの間のような中途半端な仕事も、なくなりつつあった。環は、自分に抜きん出た才能がないことを承知しており、そのことに傷付けられているのだ。
久しぶりに、四人グループで会おうということになったが、子供のいる麻美は欠席、遼子と恵奈の二人が環を待っていた。金回りもよく、充実した二人に対して、環は引け目を感じる。それは、遼子と恵奈が放つ「普通」であることの、暴力的なまでの屈託のなさに対してだった。
環は完全に二人のいる「塊」から逸脱した自分を認識する。しかし、自分が属する芸能界という「塊」は、格差のある「塊」で、才能のない自分は落ちてゆくしかない。その時、環は高校時代の「塊」にも、もはや格差が生じていることに気付くのだった。
「海辺の先生」
海辺の町で、スナックを経営する母親の元で暮らす少女。少女は、酔客が夜遅くまで騒ぐスナックという家業と、客に媚びを売る母親を毛嫌いしている。自暴自棄になった少女の前に、「先生」が現れ、勉強を見てくれる。そして、彼女は大学に入り、町を出て行くことができた。母と町と両方の「塊」から脱出を図る物語だが、「先生」もまた、何かに閉じ込められていたことがわかる。
この作品だけが、「温室の友情」との繫がりを発見できなかった。だが、「先生」の噓が暴かれた途端に、なぜかぬめりを帯びた艶が光りだす。もしや、少女は「偽物のセックス」で描かれた、麻美の夫の思い出の中の女では、などと妄想が湧く。
「幸福な離婚」
主人公ミヤと夫のイツキは、四カ月半後に離婚すると決めた。しかし、離婚を決めてからの日々は何と甘美なのか。二人は繭に閉じ籠もるように幸福なセックスをし、美味しい食べ物を分け合って暮らす。
心と体がそれぞれ違う動きをすることに戸惑う女の心境を描くのは、作者の真骨頂であろう。この作品に描かれているのはそれだけではなく、婚姻から逸脱する二人が、どう魂の決着を付けるか、ということへの静かな決意というものであろうか。この先が読みたい。
ちなみに、「イツキ先生」とは、「偽物のセックス」の中で、麻美の夫が気になる女が口にする名前である。また、ミヤにメールを送ってくる「西村」は、恵奈の不倫相手であろう。四人の放った糸がどこまで伸び、絡んでいくのか、気になる展開である。
「描かれた若さ」
女の年齢を殊更にあげつらう男の醜悪さを、まるで復讐譚のように描いている。この作品で描かれる「正しい女」とは、まさしく正義を行う者としての「正しさ」であろう。これはこれで小気味よい。
『正しい女たち』という、この短編集に付けられた総タイトルは、正統と異端、また女たちの真の姿としての正しさ、そして、正義を行うという意味もあるのだろうか。いつもながら率直で深い思索を誘う本作は、末長く読者に愛されることだろう。