それにはいささか理由がある。十年の習作時代に書き上げた作品は二点だけ。もちろん自ら認めているのだが、それらはヒドイ出来栄えらしい。その他何作も創作しているが、すべて途中放棄。執筆中に新しいアイデアが沸き上がると、そちらに気が移ってしまうのだ。また当初、作家として糊口をしのぐことはさほど念頭になく、自分の書きたいものを書くという方針だったため、意向の合わないエージェントとは手を切ったためでもある。
ストレートなミステリーを求めるエージェントが多い中、英国版女性スティーヴン・キング――ホラー/サスペンスを引き受けてくれたエージェントとの出会いが、『白墨人形』の刊行につながった。
本書をすでに読了した方、そしてキング・ファンならば、気づかれているように、主人公の一九八六年の少年時代と二〇一六年の現在を往来して語られるノスタルジックかつ凄惨な物語は『IT』や「スタンド・バイ・ミー」の影響下にあることは明白だ。〈過去・回想・空白の記憶〉ということでは、トマス・H・クックの代表作のひとつ『緋色の記憶』を想起する読者もいるかもしれない。善かれと思ってしたことが裏目に出て……といった点でも似ているのだが、詳細は双方の作品のネタバラシになりかねないので口をつぐむ。
海外の書評では、キングの影響のほかにも八〇年代を舞台とした人気ドラマシリーズ〈ストレンジャー・シングス〉との共通点を指摘するものが多い。ちなみに、リメイク版映画『IT』(2017)の成功の一端も、その八〇年代を背景に少年たちの活躍を描くスーパーナチュラル・ストーリーに求める人たちがいる。
しかし、本書の創作時期は二〇一五年であり、まだ八〇年代カルチャー・ブームが誕生する以前のことである。C・J・チューダーの年齢を見ても明らかなように、回想が八〇年代に設定されているのは、作者が主人公たち少年少女と同じ年齢を過ごした時期だからだ。本書はキング・ワールドのみならず作者が感受性の豊かな思春期を過ごした八〇年代へのオマージュでもある。また八〇年代はモダンホラー全盛期でもあり、小説(キング)や映画(スピルバーグ)で傑作が数多く生み出された。ちなみにチューダーの場合、映画に関しては、『ゴーストバスターズ』(1984)や『グーニーズ』(1985)や『ロストボーイ』(1987)などがお気に入りとのこと。
したがって本書はホラー/サスペンス、そしてかなり複雑な〈フーダニット〉のマーダー・ミステリーであると同時に、子供から大人への成長物語=無垢の喪失物語でもある。ただし、子供の純粋無垢、これは見方によっては曲者だ。邪悪と紙一重。その意味では、本書はダークなカミング・オブ・エイジものと言える。「スタンド・バイ・ミー」の裏バージョンと称されるジャック・ケッチャムの傑作『隣の家の少女』ほどではないにしても。
善でも悪でもない、黒でも白でもない灰色の領域。登場人物のすべてが、いわゆる〈ノーマンズランド〉の淡い空間の住人である。その灰色地帯を語るに際して、スモールタウンほど適した舞台設定はない。その点においても本書がキングの影の下にあることは明白だ。
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