高校で再会した結珠と果遠。でももう無邪気には話せない… 『光のとこにいてね』一穂ミチ――第2章立ち読み
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パパが取ってつけたようなフォローをしてくれたけれど、それなら最初から余計なことを言わないでほしい。私はひたすらに口を動かし、顎を使って「ちゃんと噛みなさい」と注意されないぎりぎりの速さで朝食を終え、「ごちそうさまでした」と手を合わせて立ち上がる。テーブルクロスにパンくずひとつこぼしていないのを確かめると、本日のノルマをひとつクリアした気分でほっとした。
きょうは始業式だけで授業がないから、サブバッグはいらない。いつもより格段に軽い学生かばんだけ持って家を出る。腰の上くらいのショート丈のブレザー、ソックスは膝下丈で白か黒か濃紺の無地、靴は甲にストラップがついた学校指定のローファー、これが、私の新しいユニフォーム。
JRから私鉄への乗り換え駅で、亜沙子と一緒になった。おはよう、と挨拶を交わしてから鏡合わせのように互いの真新しい制服姿をチェックし、同時に笑った。
「やっぱださいよね」
「うん、やばい。でも結珠も似合ってないから安心した」
「これで三年かあ、そのうち慣れると思う?」
「慣れてだささがわかんなくなったらもっとやばいじゃん」
「ほんとだ、私服のセンスも狂ったりして」
小等部からのつき合いなのに、亜沙子が知らない女の子みたい。でもものの数日で慣れるだろう、中等部に上がって制服が変わった時もそうだったから。春の空気が胸の中でくるくる舞うように、ふわふわくすぐったい違和感は今だけだ。朝の電車は満員だけど、会話も憚られるほどぎゅうぎゅうではないので、私たちはつり革に手首を引っかけてひそひそとおしゃべりする。
「結珠、部活どうする? 高校もバド?」
「どうかなあ、新しく予備校通い始めるから、運動部無理そう。ESSかな」
「結珠、英語得意だもんね」
「亜沙子は? やっぱバレー部?」
「んー……迷ってんだよね。バレーは好きだけど、高等部上がったらまた舞香先輩いるじゃん。ほんと怖いよ、私にだけきついんだもん」
「ほかの先輩に相談してみたら?」
「中等部の時もしたんだけど『あー、うーん……』みたいな。あの人バレー上手いし、美人だから。美人には何も言えないよね」
「うん」
男の人ももちろん美人が好きだから、きれいな人には強く怒ったり注意したりできないんだろう。でも、私たちが美人に逆らえないあの感覚、抵抗を諦めてすっと口をつぐんでしまう「降伏」の感じって、男の人にも通じるのだろうか。家族以外の異性が身近にいない私にはよくわからない。小等部に上がる段階で系列の男子校と女子校に分かれるので、そこからずーっと女の子だけの空間で過ごしてきた。数少ない男の先生は五十歳以上のおじさんばかりで、神父さまはおじいちゃん。同じ塾に通う男の子たちは、椅子を引く時も扉を開け閉めする時もいちいちうるさくて雑で、あんまり近づきたくない。
「私も美人に生まれたかったな」
座席で携帯をいじっているサラリーマンの頭越しに窓を覗き込み、亜沙子がつぶやいた。
「そんなの、誰だってだよ」
私はふざけて亜沙子の肩に肩をぶつける。
「だよね。それで、みんな美人だったら結局その中で比べられて一番からビリまで決まっちゃうし。頭いい学校にだって落ちこぼれがいるんだから」
本当は、別に美人じゃなくてもいい。美人に生まれたことでどんないい思いができるのか、具体的に想像できない。たかが数十人の部活内でいばれても嬉しくないし、変にえこひいきされても気まずいし男の子にももてたくない。何より、私が美人だろうとママは別に変わらないだろうから。どんな私だったらママに好かれたのかな、と考え出すと、貧血の時みたいに視界に黒い点がぷつぷつ現れる。それが目の前を覆ってしまう前に、亜沙子が「そうだ」と明るい声を出す。
「ゆうべ、友梨と電話してたんだけど、春休み中、外部の子たちの入学式やってる日にたまたま学校行ったら、すっごいかわいい子がいたらしいよ。もう芸能人レベルで、オーラが出てたって」
この続きは、「別冊文藝春秋」7月号に掲載されています。
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