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(第1回)1 絵

(第1回)1 絵

文:岩井 俊二

岩井俊二『零の晩夏』


ジャンル : #小説

 気がつくと深夜になっていた。

 翌日の日曜日は朝から仕事だった。CM撮影の現場の立ち会いである。夜更かしして絵を描いている場合ではない。私は早々に寝支度をしてベッドに潜り込む。撮影前はいつもうまく眠れない。それでもじっと目を閉じて、少しでも寝ておかないと、午前中から睡魔と戦うことになる。人間なんとか頑張れば少しは眠れるものだ。しかし、この夜は困った。『晩夏』に出会った夜である。絵心をおおいに刺激されてしまった夜である。この興奮を多少冷ましてやらないと眠れる気がしなかった。私はベッドから起き出して、静かに階段を降り、一階の納戸に忍び込むと、その奥にしまってあるダンボールに手をかけた。これは、しかし、裏目に出るのでは? という疑念もあった。そこに積まれたダンボールの中身は、私の人生の想い出の数々だ。一歩間違えたら、朝まで郷愁に浸ってしまう。それだけは避けなければならない。私の目的はただひとつ。それを探し当てれば他のものに用はない。ダンボールの中には子供時代に読んだ絵本や、クレヨンなどがあった。これではなかった。別なダンボールを開けてみる。

 あった!

 それは油絵の道具である。高校一年の時にこれを買って美術部に入った。大学に入ってもずっとそれを使っていた。愛用品である。何故かそれを見たら落ち着くと思ったのである。

「何してるの?」

 母が納戸を覗いた。

「ちょっとね。うるさかった?」

「うるさくはない。うるさくはないんだけど、逆にひそひそ物音立てられると、泥棒かと思うから。あんた明日仕事じゃないの?」

「仕事ですよ。ちょっとこれも仕事がらみだから」

 母は眉間に皺を寄せたまま寝室に戻っていった。

 我が家は横浜の綱島にある。駅を降り、綱島公園沿いの狭い小路を五分ほど歩いた坂の途中の二階屋である。母は桜木町の税理士事務所で働いている。父は神奈川県内の私鉄で広報の仕事をしていた。その父が亡くなったのは、五年前の冬の朝だった。一月二十五日の日曜日。私は休日出勤で、家を出る時間に父はまだ寝室で寝ていた。母はジョギングから帰ってきたばかりで、私が出かけるのを見送った。私は父に挨拶もせずに家を出た。休日は、いつもこんな風であった。寝てる父に、わざわざ行ってきます、なんて言いに行ったことなんてない。いや、子供時代はしていた。用もないのに起こしに行った。いつからかそんなこともしなくなっていた。そもそも父の部屋に最後に入ったのが何時(いつ)だったか。それさえよく憶えていない。そんな具合だから、まあ後悔しても始まらないが、それでも悔いは残った。私がいつものように出かける時、父は恐らくもう冷たくなっていたのである。会社に着いてメールの確認などしているとスマホに母から電話があり、父の訃報を聞いた。私は急ぎ綱島に引き返した。父はベッドの上で仰向けに横たえられていた。まるで寝ているようである。しかし本当に寝ているとしたら、あれほどに身体をまっすぐにして寝る人ではなかった。その佇まいには威厳すらあった。私は母に頼まれて葬儀屋に電話を入れた。事情を説明すると、まずは救急車を呼んで下さいと言われた。そこから先は葬儀屋の担当者さんに言われるがまま、右も左もわからぬままに、私と母は父の葬送をやり遂げたのであった。

 あれから三回忌も過ぎ、五年目の、去年の二月二日の深夜、いや既に三日になっていた。私は納戸でダンボールを開き、母を起こしてしまった、というわけである。写真越しに“零の『晩夏』”に出会ったあの日、二月二日。その前後の記憶は父の死んだ日にも似て鮮明だ。

 さて、絵具箱を出した私は、ダンボールを閉じ、その上に子供時代の想い出の詰まったダンボールを載せ、開いてしまった外蓋を閉じようとした時、ふと気になるものが目に止まった。古いスケッチブックであった。

 ああ、これはここにあったのか。

 そう思わずにはいられなかった。どこかに行ったと思っていた。敢えて探そうと思い立つ機会もなかったが、不意に見つかってみると、それは宝物のように思え、なぜこれを探してあげなかったのか、と自分を責めたくなるほどだった。

 私は絵具箱と、この古いスケッチブックを両手に携えて、二階の部屋に戻った。

 絵具箱を開けてみると、そこかしこに絵の具の痕跡はありながら、パレットも絵の具も絵筆も整頓された状態で保存されていた。それらを眺めながら、油絵を愛した時代を想い出した。なんとなく気分も落ち着いてきて、やっと眠れそうな気がした。学生時代から使っているイーゼルは自分の部屋にあり、いまだ現役で活躍していた。雑誌やタブレットを置いたりするのに便利だったからである。無精がバレてしまうが衣類を掛けておくのにもなかなか便利な代物である。なんでもうっかりそこに置いてしまう。先程見つけたスケッチブックもどこに置いたかと見回せばそのイーゼルの上にあった。

 改めて手に取ってみる。懐かしいその表紙を撫でてみる。

 小学時代に描いたスケッチの数々がそこには描かれているはずだった。

 ああ、いけない。このスケッチブックを開いてしまったら、私はもう朝まで眠れないだろう。あわてて私はイーゼルの上にそれを戻し、電気を消してベッドに飛び込んだ。毛布にはまだ温もりが残っていて、冷えた身体に心地よかった。その温もりも手伝って、今度は無事に眠ることができた。

 夢を見た。

 そこは病院。見覚えのある白い病棟。中庭。

 それはたまに見る、とある病院の夢だった。

 小学時代、私は心臓におかしなところがあって、度々入院生活をしなければならなかった。最終的には難しい手術に成功し、一命を取り留めたのだが、その傷は今も胸の谷間に残っていて、私の中のコンプレックスのひとつになっている。

 あの頃、私は小児病棟に入院し、院内学級で授業を受けていた。何人かはその後、亡くなったと聞いた。その子達が夢に出てきた。あどけない小児達は、もうすっかり大人になった私を相手に、あの頃と変わらないタメ口で、話しかけてくる。頭に包帯を巻いた子供がいた。顔の半分をガーゼで覆われた子供もいた。

 目を覚ました時、私は泣いていた。窓を見ると、もう朝の空である。時計を見ると六時を少し過ぎていた。起きるにはまだ少し早かったが、もう一度寝るのは危険だと思い、ベッドから出た。

 少し時間がある。

 私はイーゼルに置いた白いスケッチブックを手に取った。あんな夢を見たのは、間違いなくこのせいだった。表紙をめくった。そこには、あの時の入院仲間が描かれていた。笑顔だったり、仏頂面だったり、そのひとりひとりに見覚えがあった。頭に包帯を巻いた子供もいた。顔の半分をガーゼで覆われた子供もいた。

 自画像もあった。むしろ自画像の方が多かった。それらは格別によく描けている。自分を綺麗に描こうと必死だったのが見て取れる。

それにしても……。我ながら本当にうまく描けている。

 思わずため息が出た。涙が溢れた。

 このスケッチブックこそ絵が好きになった私の原点であった。そのことを想い出した。

 大人になるほど思い知らされたことがあった。私の大好きな絵の世界は、私より遥かに上手な人達がいて、決して自分のために用意された場所ではなかった。そんなことにまだ気づかない幼く無垢なる私の描いたそれらの絵は、眩しいくらいに伸びやかであった。

 そう見えた。あの時の、あの朝の私には。

 絵とは時に、人の心を映すものなのかも知れない。

 



岩井俊二

1963年生まれ、宮城県出身。『Love Letter』(95年)で劇場用長編映画監督デビュー。映画監督・小説家・音楽家など活動は多彩。代表作は映画『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』、小説『ウォーレスの人魚』『番犬は庭を守る』『リップヴァンウィンクルの花嫁』『ラストレター』等。映画『New York, I Love You』『ヴァンパイア』『チィファの手紙』で活動を海外にも広げる。東日本大震災の復興支援ソング『花は咲く』では作詞を手がける。映画『花とアリス殺人事件』では初の長編アニメ作品に挑戦、国内外で高い評価を得る。2020年1月に映画『ラストレター』が公開、同7月には映画『8日で死んだ怪獣の12日の物語』が公開された。

単行本
零の晩夏
岩井俊二

定価:1,980円(税込)発売日:2021年06月25日

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